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母のおもい

二十歳の頃わたしが病の治療で死にかかったとき
母は黙って見守ってくれていた

病院から退院をしてきたその日に
母は卵や野菜をのせた即席ラーメンを作ってくれた
あの時のラーメンが頭から離れない

食事療法、漢方薬、もちろん西洋医学
何をやっても治らない頑固な病

死にたくても死ねない病
見た目だけが汚い病

人間は見た目だけではないけれど

それで救われた面もあると
今は思える

それは父方の家の患い
じいさんも同じ病

本当はじいさんが背負ってきれいにするものだった

でもじいさんにはその力がなかった
そして父が持ってきた

父の糖尿病も遺伝だった
父に二つも背負わせられないと
私が一つもらったと

わたしが若い頃
母にそういったらしい
わたしは覚えていないけれど

母もわたしの病に苦しんだ
自分ではないけれど
自分のことのように苦しんだ
自分のこと以上に苦しんだ

のうのうと叔父たちと暮らしている
じいさんの家に押し掛けて
玄関先で灯油を被って焼身自殺をしてやろうと思っていたと言っていたこともある

それだけ苦しんでいた

だから母のなかでは
いつもいつも死が隣り合わせだった

「この子といつでも死んでやる、それしか出来ない」

だけれどもおやさまに出会い
「あんさんは親不孝をしているで、親からもらった命は大切にせねばあかんえ」といわれる

親とは親神様、神様からもらった命

それから母は変わってゆく
必死になって
おやさまのあとをついてゆく
こころ磨きをしてゆく

時々人間心を出してくるけれど

やさしいこころ
娘を包む大きなおもい
夫である父を想う
女としての母

母と一緒に生きてきて
二人して
母の最期に
大きなプレゼントを…
もらう

母の病とわたしの骨折

わたしを置いては逝けないと
母は何度も助けられ

でも最後にはあっさりと行ってしまう


お付き合いのある文章サークルの講師M 先生にnote に毎日書いているとお知らせすると

M先生はわたしの書いたつたない文章を読んで下さっているという
お恥ずかしいが、わたしの大体のことを知る先生は母とわたしのつながりの深さに驚かれる

こんなにも深い繋がりのある親子は珍しいといわれる

そのことを言われたのは母の月命日の日のことだった


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