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心学び

母があの世に旅立って
私は何を信じていいのか分からない
骨になった母にショックを受けたから
今は身も心もくたくた

肉体は滅び
人間は魂だけの存在になる

心の学びを私は母と二人でして来て
三十有余年
母の心持ちは本物で
母神様は誉められた

私は母の心が解らずに
母を苦しめた

後悔ばかりが心の澱のように浮かびくる

母と私の心の学びは作家芹沢光治良氏の「神の計画」と言う書物から始まる

嘘のような本当の話し、実相の世界の話しが書かれていた
肉体を持つ現実の世界と表裏一体をなす実相の世界つまりあの世
どちらが本物の世界なのか、それは実相の世界
人間の持ち物は心一つ、親も子もお金もみんな神さまからの借り物

神さまは実在する大自然

その神さまの言葉を伝えてくれたのが、仏陀でありイエスである

そして天理教の教祖にされてしまった中山ミキ、おやさまである

おやさまは万物の母
天理教だけの教祖さまではない

私が学んでいるのは万物の母おやさまの話し、教え

それを伝えてくださるのはお社さま
湯河原に心学びの場を設け、人々に教えの話をしてくださる

母が大好きなお社さま、優しい心のお社さまがおやさまの教えを伝えて下さる

私は自分が人間として至らないことがよく分かっていたから、初めて行った川口弥平では、おやさまの前に出るのが恐ろしかった
三十五年前のその気持ちを今も忘れていない

母は私の持って帰ったお話しのテープを「こんなにも良いところがあるのか」と一心に擦りきれるほど聞いていた

私より遅れること2ヶ月、母も心学びを始める

母の心は教えを求めていた
見える世界に生きてきた人が突然
目覚めたようだった
おやさまの元へ教えを聞けに行けるのが嬉しくてたまらない様子を隠さなかった母
そこからは猪突猛進
おやさまに、お社さまに従って突き進んだ
50歳からの心学び

晩年は異常なほどの高血圧で心臓が悪くても生きていた
その後は末期の乳ガン、効かない確率の高い抗がん剤が効いてくれた

その間に私は足を骨折して入院、これが母でなくて良かったと思った
母くらいの年代の人はいっぱい骨折して入院していたから
母に辛い思いをさせたくなかった
でも抗がん剤で辛い思いをしていた

今年の冬に腎臓機能が低下して入院した時は3週間、元気に退院出来た

奇跡を見せられた

いっぱいいっぱい助けていただいたけれども、母の修行は大変だったに違いない

辛くて辛くて、満身創痍の肉体は重かっただろうに
もう少し、もう少し生きていて欲しかったのは私の欲、自分のことしか思えない情けない娘です

私が優しくしなかったから
少しでも優しくしていたら、もう少し生きてくれたのだろうか・・・と自分を責めるだけだった

でも亡くなる数日前に
「あんたは生まれて来たくなかったんだよね」と言われた
本当はね、いつもいつもそう思っていた
死ぬ病ではないけれど、見た目の汚い難治性皮膚病の乾癬で、40年前に死にかかった
幽体離脱をし、天井から自分の身体を見つめる私がいた
いわゆる薬害…それからは怖くて病院からは遠ざかるだけ
漢方薬も何回もやったけど、効かない

実はこの皮膚病は父方の祖父が患っていた
まぁこの爺さんは知らぬ存ぜぬで「おらは誰にかつければいい」とのたまうような輩
父からも謝りの言葉はなかった

ただ母だけはどうにかして治る方法はないかと四方八方手を尽くしてくれた
そんな優しい母だから
この人の子供として私は生まれてきたかったのだろう

母方の祖父母も心配してくれていた

でもね、心学びを始めてからおや様に
「あんさんはこの病を背負えるだけの力があるから、受け止めたのや」と言われたことがある
かみさまからそういわれたらぐうの音も出ない

いつもおやさまから言われた言葉を心に刻んだ

しかし時々人間心が出る、その繰り返しを何十回、何百回、何千回

この病のお陰でおやさまに出会え、心学びが出来た

学び始めて数年後、おやさまは「もう、あんたの病は治ったで」と言われた

嗚呼、乾癬さんありがとう
と思える時とそうでない時がある

これがまだ病の消えない理由なのか

これから私は前を向いて実行しないといけない、心を磨いて行いをする
簡単なようで、全く簡単でない

人間の心学びは行ったり来たり

死ぬまで続く、死んでも続く

ずっと母と倶に

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