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最急勾配だった碓氷峠 旧線から新線への変わり目を訪ねた

20年以上前、北陸新幹線の開業にあわせて廃止された、信越本線・横川~軽井沢間の碓氷峠区間。しかし路線廃止の30年前にも昔の線路を「廃止」して、新しい線路に切り替えたことがあります。新旧両線が「併存」したいたころの碓氷峠を訪ねました。

(この記事は2018年11月に会員限定記事として配信したものです。)

「新線建設」と「旧線改修」で複線化

 北陸新幹線・高崎~長野間(長野新幹線)の開業に伴い1997(平成9)年に廃止、経営分離した信越本線・横川~篠ノ井間のうち、横川~軽井沢間は通称「横軽(よこかる)」と呼ばれ、群馬県と長野県の境となる碓氷峠を越えていました。このあいだの標高差は552mに及ぶため、66.7パーミルという国鉄線では最も急な勾配が存在していました。

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▲旧線を下って来たDC急行。アプト区間ではすべての列車の横川寄りに3両、軽井沢寄りに1両のED42が連結される(1963年8月31日、楠居利彦撮影)。

 1893(明治26)年に「横軽」が開業したときは、急勾配を登るため「アプト式」を導入。線路にはラックレール、機関車にはこれと噛み合うビニオンを設けることで、けん引力を確保していました。しかし、1列車に機関車4両を必要とし、それでも輸送力、速度は平たん線より大幅に少なく、非効率的な運転を強いられていました。

 この解決策としてループ線などで勾配を緩和する案も検討されましたが、技術的な進歩で66.7パーミルの勾配でも粘着運転が可能とされ、アプト式の線路に沿って粘着運転用の新線が1本建設されました。その後、アプト式の旧線の一部を改修する形で粘着運転の新線をさらに1本建設。最終的には複線にして、輸送力の増強と所要時間の短縮を実現することになったのです。

 私が碓氷峠を訪れたのは1963(昭和38)年8月31日、高校の夏休みの最終日でした。この年の7月15日に信越本線は軽井沢~長野間の電化が完成。横川~軽井沢間の新線の使用も始まりました。ただし、この時点では新線は1本だけ。アプト式の旧線と粘着運転の新線を両方使った暫定的な複線運転(厳密には単線並列)が行われていたのです。

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