見出し画像

自分のサッカーの記憶を振り返ってみる(2021/11/11)

一番最初に見たサッカーの記憶は「高校サッカー選手権」でしたね。

正確にどの試合を、というのは流石に覚えてませんが、単純なので(出身地の)福岡県代表を応援してたと思います(TVで)。場合によっては親戚がうちに集まる日とかぶるので、一緒に食事しながら応援したりなんかして。当時は東海大五(今の東海大福岡)が強かったイメージありますねえ。近所のお兄ちゃんがその学校の選手として出場したりしたこともありました。

なので、サッカーを見た当初というのは「サッカーをする高校生のお兄ちゃん達」がスターみたいなものでしたね。とはいえ名前を覚えるようなものでもなかったので、甲子園でやる高校野球と同じで、単純な憧れからくるものだったのでしょう(ちなみに競技としてのサッカーは経験はありません)。

そういう状況からの1993年のJリーグ開幕はやはりインパクトありましたね。当時は必ず水曜日と週末に試合がありましたし、ゴールデンタイムで地上波という今では考えられない組み合わせで中継してましたからね。家族が別の番組を見ている頃、私は別の部屋でひとりJリーグを見ていたのを思い出します。

それと並行する形でワールドカップ予選があり、ラジオでも毎日日本代表のニュースをやってましたね。当時左サイドバックの都並選手が怪我をしていたため、その怪我の情報が毎日のように報道されていたのを思い出します。そういえば、当時は勝利が勝ち点2の時代でしたね。

ドーハの悲劇は夜中にひとりでライブで見ました。あんなにドキドキした試合はこの試合とジョホールバルの歓喜くらいではないかなというくらい心臓バクバクでしたね。例の悲劇が起きた後は(家族が寝ていて大声出すわけにも行かないので)思わずその場でしゃがみこんでしまいました。

そういえば、民放で見てたのかNHKで見てたのかはよく覚えてないですね。また、翌朝の電車の車内が何となく暗い雰囲気だったのを思い出します…。

それ以降なんとなくJリーグからは遠ざかる時期が続きましたが、1999年から博多の森球技場にアビスパ福岡の試合を見に行くようになってから、再び熱が上がってきた気がします。

そういえば、雪の決勝と呼ばれる帝京と東福岡の試合は1998年だったんですね。その時は録画して後で見ようと思った矢先に母親から電話がかかってきてネタバレされたのをよく覚えています(ネタバレで憤慨したのはその時くらいかもしれませんw)。

2002年は日韓ワールドカップでしたね。たまたま開催の前年くらいにみなとみらいに行く機会があり、そこにある日本代表ショップで森島選手の番号(8番)のTシャツを買ったことを思い出します。このときの私は、ワールドカップ本戦を大勢で見る機会が多かったですね。時差のないリアルタイムだったし、本当にお祭りみたいでした。また、「六月の勝利の歌を忘れない」を購入して何度も見返しました。

本国(共催ですが)開催のワールドカップ、私自身は直接見に行ってないにもかかわらず、それでも得難い経験だったよなあと思えます。

そして、2006年に静岡に行くことになると、アビスパ福岡を見に行く機会も減り、再びJリーグに対してはトーンダウンしていきました(ドイツワールドカップもあっさり終わってしまいましたしね)。

なお、静岡にいる間に一度だけ日本平に観戦しに言ったことがあるのですが、居住地の静岡県東部から清水まで電車で2時間以上かかったのを覚えています。今となっては電車移動で2時間位は普通なのですが、当時は「静岡は横に長いなあ…」としみじみ思った覚えがあります。

それまでは、アビスパ福岡を見に行くときは実家のある八幡から博多までで近かったですからね(移動時間は、だいたい1時間程度)。

そして、2010年になり南アフリカワールドカップ、ギラヴァンツ北九州のJリーグ参戦、そして現居住地の茨城県への異動。これらのイベントが契機になり、改めてサッカーの熱が上がって今に至るという感じです。

こうしてみるとサッカーへの熱に関しては結構波がありましたね。あまり関心のない時期は意外に長かったように思います。それでもうっすらとサッカー自体への興味は持ち続けてた感じで、今となっては「自分の中でのサッカー人気」が完全に定着した感はあります。

なので、これからもサッカーは見続けていくでしょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?