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阿吽

「なぁ、牛田のアニキぃ」気怠けだるそうに馬場が話してきた。
「なんだ。うるさいな。黙って立ってろ」オレは馬場に言う。オレ達は今、オヤジの家、すなわち大和愛乃組やまとよしのぐみの本家の門を背に立っている。今日という日の警備を任されているんだ。無駄口を叩いて良い訳がない。
「どこかで金を借りる時なんかに、職業欄を埋めなきゃならないじゃないですか。今ならオレは門番とか警備員って書きゃあいいんですかね」馬場は構わず聞いてくる。
 オレは馬場を睨みつけるが、オレ達は二人とも濃い黒のサングラスをかけている。オレの視線の意図が3メートル向こうの馬場に伝わったのかどうかは分からない。
「どこで金を借りるつもりだ?バカな事言ってんじゃねえ。オレ達は金を借りる側になんてなっちゃならねえ。オマエにゃ早いが、金貸しってシノギをやる側なんだオレ達はよ」
「あぁ、いや、金を借りる時だけじゃなくて、なにかの契約とかって職業欄があるじゃないですか。そこにヤクザの舎弟とか書けないじゃないですか」
「契約なんてものはオンナにさせろ。オンナ一人てめえに惚れさせられねえようじゃ舎弟どころか、小間使いのボンみたいなもんだ」
「そんなもんですかね」馬場はそう言って黙る。

 どこかで蝉が鳴いている。梅雨が明けたと思ったらもう夏か。本家の前の道路は人通りが少ない。敵対組織の人間どころか、人を見かけない。馬場が無駄口を叩く気持ちも分からなくはない。
「なぁ、牛田のアニキぃ」しばらく黙っていたと思ったら、また馬場が話しかけてきた。
「なんだ?」今日これまでで、オレ達の注意を引いたのは、野良猫と近所の主婦が乗る軽自動車くらいだ。少しくらい話に乗ってやるか。
「地獄には門ってあるんですかね?」馬場はそんな事を聞いてきた。
「さぁな。あるんじゃねえか。地獄とそうでない所の区切りはあるだろうし、その区切りがちゃんとあるなら、出入り口として門は必要だろう」
「じゃあ、その地獄の門にも、オレらみたいな門番が立ってるんですかね」
「どうだろうな。いたとしても、門番は内側にいるんじゃねえか。地獄の門番は地獄内の亡者を地獄から出さない事が勤めだろ」
「ふーん。そんなもんですかね」馬場はそう言って黙る。

「でも、地獄の亡者なんてガリガリのよろよろでしょ?門番なんかいなくても、鍵かけときゃいいんじゃないですかね。ボロボロの亡者は門が開けられなきゃ、よじ登って出ていく事も出来ないでしょうし」黙ったかと思ったらまた喋る。黙って立っていられないのか、この馬場という男は。
「門に鍵なんかあるかよ。門を閉ざすのはかんぬきだ」
「いや、だから、閂を抜けなくする錠前とか、門の横の勝手口の鍵とか」
「ハハッ。地獄の門にも横に勝手口があるのか」オレは当番制の門番の鬼が勝手口から出入りする様を想像して思わず笑う。「そういや、オレは馬場の言う地獄の門を閻魔さんがいるような日本的な地獄を想像して、門もこんな感じのものを想像してたけどよ」そう言ってオレは、オレ達が警備を任されている門の大戸をチラリと見る。そして「ロダンって彫刻家の作品にはまさに地獄の門ってのがある」と続けた。
「へー。ロダンって、あの、考える人の?」
「あぁ。そうだ。その考える人は、そもそも、その地獄の門の上にある鍾馗しょうきさんみたいなものだな」
「鍾馗さんて、屋根の上の?」
「あぁ。この門の屋根には……、無かったか」オレは門を見上げる。「ま、とにかく、ロダンの考える人ってのは、地獄の門っていう作品の一部らしい」
「ふーん」馬場はそう言うと、「ちょっとトイレに行ってきまさぁ」と、勝手口をくぐって門の向こう側に行った。馬場の反応の薄さにイマイチ納得がいかないが、この瞬間、門の警備はオレ一人だと思い、気を張る。

 そう思った途端、低いエンジン音が聞こえて来た。オレはジャケットの胸元に手を差し入れ銃を握る。どこかの組の鉄砲玉だ。黒いセダンがこの門に向かってくる。オレは銃を構え躊躇なく撃つ。オレの放った弾はその車のフロントガラスには当たったが、中のヤロウには当たらない。車の軌道は大きく弧を描き、門を突き破ろうと迫って来た。まさか、車で突っ込んで門をぶち破ろうということか。閂が掛かっている以上、そう簡単にはいかない。それは自滅行為だ。そう思いながらもオレは懸命に銃で中の人間を狙う。だが、弾は当たらず車は門に突っ込んだ。

 門の大戸を軽々と開けて。

 一瞬あっけにとられたが、門の大戸を軽々と開けてそのまま屋敷に突っ込んだ車をオレは追う。今日は中に若頭と姐さんがいる。あんな鉄砲玉にやられる二人じゃないが、急がねば。

 一発の銃声が背後で響く。背中が熱い。振り向くと馬場がオレに銃を向けて立っていた。
「ゴメンね、アニキ。今、屋敷の中は地獄だろうね。かんぬき外したの、オレなんだ。地獄の門の鍵はオレだったんだよ」光を失っていくオレの視界の中で、馬場はそう言って、もう一度引き金を引いた。

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