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赤道直下の太陽をいつか見てみたい理由。

 思い出を振り返って、月日が経っても色褪せないのは結局「人の優しさ」なんだとしみじみ思う。今回は、ずっと若い頃、私が触れたアフリカ人の優しさについて書いてみようと思う。

 今から20年程前、私はイギリスのとある大学院の社会学部に通っていた。当時、エッセイ(課題論文)の提出は学部キャンパス内の事務局に論文用紙を持ち込む必要があった。エッセイ提出の締切日、私は締切時間ギリギリなって学部キャンパスに辿り着いた。ところが受付手続きのスタッフが事務局内にいない。まだ勤務時間だというのに、全員出払ってしまっているようだった(イギリスらしい)。

 提出の締め切り時間が迫っていて狼狽する私に、声をかけてくれたのは見知らぬ黒人女性だった。アフリカ南部ナミビア出身の留学生だと言う彼女は、私が事情を話すと一緒に校舎を歩いてスタッフを探してくれた。しばらく歩いてみたものの、もぬけの殻状態でスタッフは誰もいない。仕方なく事務室前のソファに二人で腰を下ろした。すると、彼女はおもむろに昼食用に買ったであろうフライドポテトを袋から出して、その半分を私に分けてくれた。

「食事を“等分”に相手に分けるのは、私たちの文化。気にしないで召し上がって。あなたは、それを全部食べて、彼女たちが戻ってくるのを待っていればいいのよ」

 なるほど、そのとおりだと思った。あたふたしても仕方がない。私は今、目の前にあるこのポテトを食べてりゃいいんだと。もらったフライドポテトを一本一本、口に運びながら、さっき出会ったばかりの彼女の優しさに感謝した。徹夜明けできっと神経が昂っていた私だが、その優しさの詰まったポテトフライでお腹も心もほっと満たされた。ほどなくして、スタッフが何事もなかったように談笑しながら戻ってきた。時刻は提出期限をとうに過ぎていたが、事情を説明して交渉するのがイギリス流。私のエッセイ提出は無事認められ、ことなきを得た。

 決して慌てない、堂々と落ち着いた彼女の存在が心強かった。悠然としたアフリカ大陸。私はアフリカの大自然の風景に思いを馳せた。私の頭の中では、紀行ドキュメンタリー番組「グレートジャーニー」出演の探検家、関野吉晴さんの言葉が浮かんできた。

「皆で分け合う」

 “食料の分配にこそ、私たち人間の根源や原点がある”というような主旨の話をされていたのを思い出した。さまざまな民族や国のあるアフリカ大陸に住む人達を一括りにはできないと思うが、ナミビア出身の彼女は、そのことを自分たちの文化だと言って、当然のように行動してみせてくれた。

 アフリカ人の優しさのエピソードとして、もう一人忘れられない留学生がいる。ガーナ出身の40歳くらいの恰幅のよい男性だった。祖国での仕事は薬剤師だと言っていた。彼とは選択した授業が一緒だった。“痛みの社会学”というクラスだったのだが、授業の一環で、ある時ロンドンの博物館に校外学習に行くことになった。私自身は、一人でロンドン行くことはそんなに危険とは思っていなかったのだけれど、彼から授業の帰り道、声をかけられた。

「典子は、誰とロンドンに行くの?」
「一人で行くよ」
「一人?絶対だめだ、危ないよ。ロンドンは危険な街だ。僕たちと一緒に行こう」

 授業以外ではまだほとんど話をしたこともなかったのに、1人でロンドンに行くという私を心配して、ロンドン行きのアフリカ人留学生の御一行に私を加えてくれた。大学のある町からロンドンまでは、特急列車で40分ほどの距離だったが、道中まるで大家族のお父さんのように彼の仲間に私を引きいれて気遣ってくれた。単身留学中の孤独な身だった私には彼の温かい「親心」のようなものが、心強くて身に染みた。
 
 正確にはもう思い出せないが、博物館では「いかに人間が痛みと戦ってきたか」というようなテーマの特別展示を鑑賞した。麻酔がない時代に抜歯の痛みを紛らわすため患者の腕をトンカチのようなもので叩いている状況の絵画や、鎮痛剤や麻酔薬の進化などが紹介されていた。とても興味深い内容ではあったが、今となっては博物館で見たものよりも、一緒に行ったアフリカ人留学生の優しさの方が鮮明な記憶となっていることに気づかされる。

「皆で行動し、皆で分け合う」

 私の出会ったアフリカ出身の人たちの優しさは、目の前の人を分け隔てなく、まるで家族のように受け入れてくれる寛大さでもあった。便利な現代社会に生きている私たちは、「一人で生きている、生きていける」という傲慢な錯覚を持ちやすいのかもしれない。自立や個人主義の価値観。むしろ一人で生きる力こそ大人の条件だとするプレッシャーもある。

 けれども、人は本来一人では生きていけない。自然界で外敵から身を守ったり食べ物を手に入れるためには、みなで力を合わせて一緒に生きていくことが必要不可欠だ。一方、現代社会では社会システムが多岐に機能をしていても、個人レベルでは「独身」「独居」等、人が孤独な生活に陥りやすい現実もある。だからこそ、私は彼らの「皆で行動し、皆で分け合う」という家族的な温かい関わりの文化に人間の根源的な喜びや命の原点を感じ深く癒されたのだろう。

 ロンドン旅行の道中で、ガーナ出身の彼は私に何度もこんなことを言った。

「日本人は本当に素晴らしい。勤勉で尊敬しているよ。僕の国の問題はね、国民が働かないことなんだ。困ったもんだ。ただ、そんな僕たちにはね、太陽って宝があるんだ。太陽は、本当に宝なんだ。一番のね!」

 私はアフリカの人たちに、テクノロジーの進化や物質的豊かさよりも人の幸せに大切なものを持っているという自信を感じた。ナミビアの彼女の堂々とした立居振る舞い、ガーナの彼の太陽のような明るい笑顔。まだ見ぬ赤道直下の太陽を、私はいつか見てみたいと思った。彼らのあの大きな優しさの根源を感じられる気がして。




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