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ありのままの自分で人とつながるということ

最近、運命としか言いようがないような、ものすごい確率での偶然が次々と続いて、つながりができた方がいます。

ことりさん https://note.com/sati_mind

私と同じ、マインドフルネス瞑想協会認定講師の先輩にあたる方です。
その方のご縁で、あるオンラインのイベントに参加してみました。

聴き合う場 "meet up"
https://r.goope.jp/asa5fun-meisou/reservation/event/detail/22267

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 聴き合う場 ”meet up”

瞑想で自分自身と繋がり、
自分の本音に気づく。

自分の中にある本当の想い、
それを認めてあげる。

それがどんな想いだったとしても大丈夫。

怒り、悲しみ、寂しさ、、
本当はこうしてほしかったこと。
本当はこうしたいと思っていること。
長年言わずに我慢してきたこと。
誰にも話したことがないことでも。

または、本当はこんなことがしたい。
今はできていないけど、こんな自分でありたい。
などでも。

もし、そんな想いが自分の中にあるのなら話してみませんか?

(主催者である ヒグちゃん のnoteより引用  https://note.com/higuchan_aki/n/ne09880d6f8d1

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ここですごく素敵な体験をさせていただくことができました。
勇気を出して申し込んでみて良かった。
(開始20分前というギリギリに申し込んだ…笑)

求められてもいないのに勝手にその感想を書いて送ったら、ぜひ公開して欲しいと言っていただいたので、どこかで何かのお役に立てることもあるかも?と思い、ここにアップしておきます。
(meet upは2回セットのイベントで、これは第1回目の感想です)

以下は、膨大な量の、膨大な熱量の、個人の感想です(笑)
お時間がある方はお読みいただければ嬉しいです

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私は普段、言葉で物事を考えていなくて
イメージと言うか、雰囲気と言うか、なんと表現したらよいのかわからない
ふんわりつかみどころのない”何か”で考えている

だから、自分の考えていることを相手に伝えるために、
言語化するというワンクッションが毎回必要なのだけれど、
それがとってもとっても苦手

自分を表現できる言葉を持っていない

ぴったりする言葉が思い浮かばない
順序立てて話すことができない
下手したら主語と述語がかみ合ってない(一年生の作文レベル)
口から出てくる言葉と、心の中にあるものがぴったりはまらない違和感

さらに残念なことに、私は記憶力もニワトリ並みで、
過去の記憶もあいまいだし、しゃべったそばから自分が何をしゃべったかを忘れていくという・・・
話す能力がとにかくお粗末すぎる

もう一つ苦手なのが、私の話を聞いてもらうのに、
相手の方の貴重な時間を奪ってしまっているという罪悪感

自分が相手の話を聞くときには、全くそんな感覚にならないというのに

(これは、たぶん自分も相手と同じように大切にされるべき存在である
 というセルフコンパッションが足りていないからだと思う)

だから、自分の事について話すときには、頭をフル回転させて、
できるだけ短い台本を作って、早口でしゃべって投げつけ(笑)、
はい、私の番、おーしまい! にしてしまう

日常でこんなことあったんだ~ぐらいの些細な内容を話す時でもこんな状態

相手がそれをどう受け取ったか、そのフィードバックを受け取るのも怖くて
相手を嫌な気持ちにさせたり、自分が嫌われたりしてないだろうかって不安になるから

話し終えて、ドキドキしている自分の心を気付かれないように抑え込んで
さっと心のシャッターを閉めてしまう

ここまで書いてみて思うけど、 私って、変な人(笑)

まぁ、そんなわけで、普段の私は自己開示がミジンコレベル(笑)
ほとんど自分の事についての会話をしない

どうせうまく話せないと思っているから
思うように伝えられなくてがっかりするのがわかっているから
あとで、ああいえばよかった、こういえばよかったと脳内反省会が始まるに決まっている
だったら最初から話さない方が楽

私、聞くのが専門です どうぞ! という感じで生きているわけです

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さて、前置きがとても長くなったけれど、
meet upでは、そんな話すのが苦手な自分、人に対して臆病な自分が素のままでそこにいられた感覚だった

別の角度から言うと、
最初の瞑想から最後の瞑想まで、その間の時間もずーっと瞑想していたような感覚

相手の話に100%の注意を払って、評価を加えずに、ただ純粋に聞こうとしているのだけれど、
つい、注意が反れてしまって、自分が話すことにドキドキしている自分がいて
自分は何を話そうかな、どんな言葉でどうやって伝えたらいいかな、と自分の内側に注意が向けられていく
そして、そのことにハッと気づいて、また相手の話に戻る

呼吸瞑想と似たような感覚 どちらかと言うと集中瞑想に近い感覚

でも、そこで注意が自分に向かったことを責めたりしないで、
あー、今、注意が反れてたな、とただ気づいて、また相手の話に戻る


そして、だんだんと相手の話を聞きながら、
それを聞いたことによって自分の心が動いていることにも同時に気づいて、
そのどちらも評価せずに、ただ、その瞬間に存在するものとして受け止める感覚にもなった

たぶん、これはオープンモニタリング※に近いような感覚
相手の話とそれに伴う自分の心の動きに平等に注意が払われているような感覚

(※オープンモニタリングは、自分の内側と外側で起きている全ての事に平等に注意を払う瞑想方法です)

私は普段、仕事の時にこの感覚に近い感じで話を聞いていることも多いのだけれど、
相手の話と、それに対して自分が返そうとしている内容に平等に注意が払われている感覚だからちょっと違う

注意の対象に”自分の心の動き”が対等に存在しているところが全く違う


自分が話すときも、
今、自分は何を話したいと思っているのかな、何を感じているのかなと
自分の内側をちゃんとモニターしながら、それを一つ一つ言葉にしていくような感覚だった

うまい言葉が出てくる時も
惜しい言葉が出てくる時も
ぴったりくる言葉がみつからない時もあったけれど

完璧じゃなくていいから
全部が伝わらなくてもいいから
自分の中の少しでも本当のものが伝わればいいから
間違ったことに気づいたら、訂正すればいいから

そんな感覚に不思議となれた


私が普段、自分の事について話すときは、
あらかじめ台本を考えてセリフを言っているだけなので、
今までとは全く違う、人との話し方が体験できた
本当の自分にフタをしないで、自分を感じながら話す

厳密にいえば、話の内容に関して台本がなかったと言ったら噓になる
ジャーナリングで自分の心の内側を書いていたことが元になっていたと思うから

でも、それが頭の中にありながらも、
その時その瞬間に自分の内側にあるものが、素直に外に出せているような感覚だった


会話は言葉のキャッチボールともいうけれど、
私は普段、言葉のボールを相手に投げる時に
相手の表情・反応を見て、相手のタイミングを見計らいながら、
相手が受け取りたいと思っている形の、大きさの、色のボールを選んで投げているように思う

きっと受け取ってもらえないのが怖いからだと思うけど、
そのボールに本当の自分は存在していないことが多い

でも、今回のmeet upでは、
今この瞬間に、自分が投げたいと思うボールを気楽にぽーんと投げられたような感覚

それを相手がどう受け取るかは、相手に委ねられる感覚
そこに不安がない

自分が自分らしくボールを投げることが尊重されている場だと思えたから

そんな場を、機会を作ってくださって、ありがとうございました
ここから、また自分がどう変化していくのかを楽しみにしている自分がいます

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この私の体験がどこかで誰かの元に届いて、
次のバトンを渡すことができれば嬉しいです

朝の5分間瞑想 ”meet up" vol.2
https://r.goope.jp/asa5fun-meisou/info/5661808


私が第2回目を受けた後の感想もすでに書いてあるので
そのうちアップしようと思っています

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