見出し画像

周二先生のことー自分の知らないところで、自分のことを気にかけていて、自分を助けようとしてくれる人は必ずいる

前回のnote

の最後に中学時代のことを少し書いた。

中1の最初のころからずっと昼食の時間だけは教室を抜け出し、校舎の裏手を歩きまわって時間をつぶしていたということ。
ずっと、誰も知らないと思っていた。実際、誰かに指摘されたこともなかった。
けれど、中学2年の時に保護者面談から帰ってきた母に叱られた。
「どういうこと?!」
担任の周二先生から指摘されたという。
私は「余計なことを」と思い、先生の仕業を逆恨みした。
母の用意したお弁当が原因だとは言えなかったし、そもそも昼食の時間に行き場がなくなってしまったのだ。

別の日、先生が私と比較的仲良くしていた2人を職員室に呼び、2人に言った。
「はまざの気持ちを考えたことがあるか」
先生にはその2人が私を仲間はずれにしているように見えたようだ。
けれど、私はこの時も「余計なことを」と思った。
その2人にとって自分がそんな大切な存在ではないことを私自身が一番よく知っていたから。
ただ、余計なことを、、と思ったが、憎いと思ったことはないし、むしろ他の生徒たち同様に親しみを持っていた。

周二先生は国語教師で、中学三年間お世話になった。
中一の最初の授業で「とうねんとって17歳」と自己紹介し、生徒から「うそだー」とブーイングが起こると「嘘ではない。27歳だけど『十年(とおねん)とって』だから17歳」と言った。
作家の名前に自分の名が似ていると言い、その作家をこよなく愛していた。
年齢が近いこともあって、生徒からは「周ちゃん」と親しまれていた。
生徒たちから「顔が長い」「胴が長い」とはやされて、「人が笑うのは優越感からだ」という持論を展開した。
授業もユニークなものだった。
私が副部長をしていたSF研究会というサークル(?)の顧問でもあった。

二十数年前に先生の訃報を伝え聞いたときは思い出さなかったことの数々をあらためて噛み締める。

今、周二先生のことを書いているのは、その時に気づけなかった思いがあるからだ。
それは、
私の知らないところで、私を気にかけていて、私を助けようとしてくれる人は必ずいる
ということだ。
私は、子どもたちにはいつも
あなたの知らないところで、あなたを気にかけていて、あなたを助けようとしてくれる人は必ずいる
と言っていたけれど、周二先生が自分にとってはそういう存在のひとりだったのだ、と気づかされた。

私はすべての人に
自分の知らないところで、自分のことを気にかけていて、自分を助けようとしてくれる人は必ずいる
と信じている。

この記事が参加している募集

#忘れられない先生

4,597件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?