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「なぜ結婚したのですか?」≒”Because it's there.”

次の”トニー・レオン”、新たな沼たちを11月末に受け取り、速攻で読み終わってしまった。

もっとゆるゆる楽しんでもよかったのだが、なんせおもしろすぎてページを捲る手が止まらんかったの。page turnerというやつ。1冊ずつ感想を述べてみたい。





「考える脚」荻田泰永

カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に単独徒歩による冒険を行い、世界でも有数の北極冒険キャリアをもつ、日本で唯一の「北極冒険家」荻田さんの著作。第9回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞作品。
ちなみにnoteで記事書いてらっしゃいます。


過去行われた3つの冒険、

北極点無補給単独徒歩の挑戦
カナダ~グリーンランド単独行(世界初踏破)
南極点無補給単独徒歩(日本人初)

を纏めたもの。

俺は、北極点無補給単独徒歩を、余裕でゴールしたいのだ。今回は、違う。これで終わらせてはいけない。這いつくばるように、限界ギリギリで北極点に辿り着くことは、美しくない。

(p.132より引用)

ここに象徴されるように、北極点無補給単独徒歩中の葛藤(本当に文字通りの”葛藤”だ)がこれでもかと示された上で、カナダ~グリーンランド単独行と南極点無補給単独徒歩という偉業があっさり達成されていく過程にあっけにとられた。比例して、このふたつの冒険に割かれるページ数が少なくなっていくことからも見て取れる。
ああ荻田さん、このふたつは余裕でゴールされたのですね。


次に移る前に、印象に残った箇所を書き写しておく。

心が動く、だから冒険する。それでいい。やる前に四の五の言うな、やってみれば分かるから。

(p.167から引用)
旅とは努力で行うものではない、憧れの力で前進していくのだ。まだ見ぬ世界への憧れ、広い世界に触れた見知らぬ自分自身への憧れだ。
歩くことは、憧れることだ。
そこに行かなければ出合うことのできないものに出合うために、私は歩いていくのだ。

(p.238から引用)



「山の旅人 冬季アラスカ単独行」栗秋正寿

読み進めるにつれ、ホンマにこの人なんなんや、ってくらいすごいことをやってらっしゃる。北米大陸最高峰デナリ(以前はマッキンリーと呼ばれていたが、2015年に現地名へ変更された)の冬季登頂に関しては以下の通り。

これまで17人が冬季登頂に成功。登山中および下山中に6人が死亡している。世界で初めて単独で冬のデナリに登頂した植村直己さんは下山中に亡くなったため、栗秋正寿は単独登頂に成功して生還した最初の、唯一の日本人。2020年現在、冬季単独は5人しか達成しておらず、栗秋は最年少記録(当時25歳)も保持している。

(p.220より引用、太字は筆者)

そりゃそやろ…こんな過酷な登山。しかもて。
この「垂直の旅」(冬季デナリ単独登頂、垂直方向の旅)を経てからの、「水平の旅」(リヤカーを引きアラスカ1,400kmを徒歩縦断する水平方向の旅)、そして挑み続けていらっしゃる冬のアラスカ三山(デナリ、フォレイカー、ハンター。うちフォレイカー冬季単独登頂は世界初)を纏めたもの。

娘でもある私は、やっぱりこの文章に心を鷲掴みにされた。

二〇〇八年に授かった長女の名前を、アラスカの氷河の色にちなんで蒼子そうこと名づけた。それ以降、後ろ髪を引かれる思いの対象が、これまでの氷河の”蒼”から、福岡に残してきた”蒼”に入れ替わった。その思いは、二〇一一年に次女を授かったことで強くなった。次女にはオーロラの光をイメージして透子とうこと名づけた。

(p.246より引用、太字は筆者)



「エベレストには登らない」角幡唯介

こっからは、作家、探検家、極地旅行家である角幡唯介さまの著作3連チャン。何故だか私は、彼の書く文章が好きで好きでたまらない。男性作家でここまでハマるのは珍しい。他に思い当たるのは横山秀夫か…ふたりとも元新聞記者だわ。後は伊集院静とか、角幡さんの早稲田冒険部の先輩高野秀行とか。


まず1冊目、アウトドア専門誌「ビーパル」での連載を纏めたもので、1タイトル数ページの軽いエッセイ。スイスイ進む。

汚い話で非常に恐縮だが、こういった極地を旅するような人は必ずと言っていい程、自分の排泄物が食べられるのかどうか、って考えるのらしい。前述の荻田さんの著書にもちょうど同じ話題が登場するので笑ってしまった(「考える脚」p.117~p.120)。
外部から食料等を補給しない旅をされている故か。

排泄物を食料にできる動物は、究極のリサイクル動物である。

(p.76より引用)



「そこにある山 結婚と冒険について」角幡唯介

2冊目。
「なぜ結婚したのですか?」という彼が言うところの愚問に答えるために、本1冊、252ページも費やし、ホメロス「イリアス」「オデュッセイア」、ハイデガー「存在と時間」「ニーチェ」、あまつさえ國分功一郎「中動態の世界」まで引く辺り、角幡ワールド炸裂。


”事態”に絡めとられた結果であって、理由なんてねーんだよ。エベレストに死ぬまで挑み続けたジョージ・マロニーも言ってるだろ、”Because it's there.”と。

ってたったこれだけの話を言いたかっただけですよね?



「狩りの思考法」角幡唯介

最後、3冊目。
さらさらっとは読めるのだけど、まだまだ彼の思考に追随できてないなとは思う。そのうち読み返さないとなーと考えつつ、心に刺さって仕方ないのがオビのフレーズ。

未来を
見つめて、
いまを
直視できない
私たちへ。

「計画と漂泊」
「偶然と調和」
本書のとある章のタイトルであるが、こんなこと考え出したらサラリーマン生活なんぞ送れなくなってしまう…




久しぶりに日本語の本をガッツリ読めて恐悦至極。しかも自分とは全く違う分野でバリバリ活躍なさっている方々の。
あぁもうこれだから、読書はやめられない。





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