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《ドMの晩酌:第13夜》 理想の家を造りたい

別次元のごっこあそび

オンライン授業を選択中の長男、自由登校スタイルの次男と、私はここ数ヶ月ずっと一緒に過ごしている。最初の頃はリラックスできなかったが、今ではすっかりそれに慣れ、各々好きなように過ごしている。

我が家の暗黙のルールは、誰かがオンラインゲームや電話で話し始めたら、残りの二名は黙るということ。

最近は、次男が仲間と会話しながらオンラインゲームをしている時間が長いため、長男と私が長時間黙らざるをえないのだが、我が家で一番のおしゃべりである次男の「ねぇねぇ、聞いてよー」の頻度が減り、内心感謝している。

しかし、今日の次男の会話時間が長い。
しかも、声がめっちゃデカイ。

私も集中して作業したいことがあるのに、と思い次男を見ると、ヘッドフォンを着けていない。あれ?PCのマイクを使っているのかな。であれば、相手の声も聞こえていないとおかしい。

気になって小声で彼に「誰と話してるの?」と問いかけると
「え?今は『ごっこ』をしてるだけだよ、おかーさん」
と返ってきた。

恐らく、多くの人が幼少期に「ごっこあそび」を体験したことだろう。

中1の長男はとうの昔に卒業済みだが、小5の次男にとっては、いまだ絶賛ヒット中の遊びである。モデルガンを使ってスパイごっこをしたり、アニメの主人公になりきったり、ゲームの時間以外は現実世界にいないんじゃないかというくらい、この遊びに熱を入れている。

しかも頭の中でセリフを言ったり、小声でボソボソ話すのではなく、堂々とデカイ声で話し、ダイナミックに身体を使い、あらゆる役を演じている。これを見ると私はうらやましくて仕方がない。

かつて私もこの遊びに熱中していた時があった。友達と遊ぶよりも、ひとりで好きなようにストーリーを展開できるごっこあそびは最高だった。

しかし、4つ上の兄に「オマエなにやってんの?バカじゃない?ギャハハ!」と笑われた小2の時から、この遊びを無理やり封印した。

だから、変にこじらせて妄想癖が抜けないんじゃないか、ワタシは。

兄さん、もうちょっと妹を泳がしておいてやれよ、とタイムマシンに乗って彼にツッコミたい気持ちだ。


そんなことを考えながら、ゲームをごっこあそびとして利用している次男を眺めていて、私はびっくりしてしまった。

なぜなら、マインクラフトというゲームで出てくる複数キャラのセリフも、彼が即興で喋っているのである。

例えば、人形などを使いひとりでごっこあそびをするならば、そこに登場するすべての人形を自分で操っているため、当然双方のセリフもひとりで喋ることができる。

しかし、このケースでは相手がコンピューターだったり他人だったりで、リアクションを読めないのに、どうやってセリフを瞬時に吐き出せるんだ。しかも辻褄が結構あっている。

んー、私のごっこあそびとは別次元だ。
彼の謎のチカラに嫉妬してしまいそうになる。
しかし、これって”何力”っていうんだろう。

あー、そうだそうだ。
かなりの年齢になってもごっこあそびをしていたピュアな人を私は知っている。
それは元夫だ。

たしか彼が高校か大学に通っていた時のこと。自転車で帰宅途中、自分をレーサーか何かに置き換え、頭の中で実況中継をしていたらしい。


カワサキ選手!地獄のヘアピンカーブを難なくクリア!
みたいに(語彙力低いなワタシ)。

ゴール(自宅)が見えてきたぞ!

おっと!カワサキ選手、ライバルをごぼう抜きして見事優勝!

喜びのあまり、カワサキ選手は当然ガッツポーズだ。

これを頭の中だけでやっているなら、わからなくもない。いや、むしろわかる。

しかし、彼は実際に身体を使って自宅前でガッツポーズしていたのだ。

「でさ、近所の人の笑い声で我に帰ってさぁ〜」と、彼は照れながら私に語った、という話なんですが。


これ、普通はただの笑い話になるのかもしれないけれど、ごっこあそびを封印し、人目を過剰に気にして生きてきた私にとっては、その話を笑うどころか、むしろ「ヤバイ、どうかしていて、カッコいいな!」と、尊敬に近いものを感じてしまったわけです。

人目を気にせず、ごっこあそびできる人って、ステキだわー。

さて、ビールでも飲も。


人生で一番幸せを感じる瞬間

さて、今日の晩酌もキンッキンに冷えたアサヒスタイルフリー。それを、ぬるくならないように缶専用のマグにスポッとはめる。つまみは「生牡蠣」

私は寒さが大の苦手だ。「ノリコさん、北海道出身なのに寒いのが苦手って変ですよ〜」私は何度このセリフを浴びせられただろう。

北海道の人は車に乗ってばかりで外を歩かないし、家の中は半袖でいられるほどあったかいんだっつーの!と、その問いに都度答え続けてきた私だが、この季節から出回る美味しい食べ物があるから、寒さの訪れを許しているようなものだ。
特に生食の牡蠣が当たり前のように出回る季節は、どんなに寒くても許せてしまう。

生牡蠣といっても殻付きのモノではない。買ったこともないし、開け方も知らない。小さな瓶に十粒程度入っている小ぶりの生食牡蠣を、たまーに自分のご褒美として買っている。

今日は特段褒められることをしたわけではないが、今シーズン初めての出会いだったので、罪悪感をデリートして買い物カゴに入れてしまった。どうか神様、こんな私をお許しください。

私は調味料の中でダントツ柚子胡椒が大好きだ。よって、もみじおろしではなく(作るのが面倒そうだし)、ポン酢にそれを入れる。

ああ・・・キラキラと光る宝石のような牡蠣の美しさったら。

うっとりとした気持ちで牡蠣をポン酢にくぐらせ口に含む。
この食感、この独特な味。
もしかすると私は今、人生で一番の幸せを感じているのではないだろうか。

牡蠣を3つ、4つ、食べているうちに私の興奮もおさまってきた。

ごっこあそびねぇ。
懐かしいな。

そんな、ちょっと大人が過去を懐かしむような風に過ごしていたら、とんでもない光景が私の脳裏をよぎった。そう、あの時は真剣そのもので気づかなかったが、振り返ると顔から火が出るくらい恥ずかしいという、あの感じだ。

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私が5歳の頃、両親は売りはじめの分譲地を一番乗りで購入し家を建てた。周りの区画は更地で、遠くに見える国道を走るトラックが一望できた。

4つ上の兄とは趣味も違うし、当然隣近所に友達もいないので、私は毎日ひとりあそびにいそしんだ。

寂しかった記憶はなく、ただひたすら、自然や虫や数少ないおもちゃをツールに、ごっこあそびという非現実世界の中にいた。

小2の頃、兄に笑われるまで。


太い木の枝を見つけては「おじいさんになれる!」とひらめき、それを杖にして背中を丸めて町内を一周していた。

近所で建築中の家の廃材を拾っては、忍者になろうと角材を剣がわりに背中に突っ込み、飛び出た釘であちこちひっかき傷だらけになった。

親に買ってもらったホッピングをやり続けていたら両手離しで跳ぶことができるようになり、「第1回ホッピング両手離し世界選手権」と称し町内を一周した。もちろん優勝者は私だ。

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家の屋根からぶら下がるつららを見ては「こ、この剣で悪を退治できる!」と、手を伸ばすも、幅1メートルくらいの左右のつららも同時に外れ、私の頭を直撃した。ニット帽を被っていなかったら、どうなっていたんだろう。

と、こんなことを思い出していたら、兄が笑うのも当然のように感じてきた。
兄さん、タイムマシンに乗るのはやめときます。


超多忙な季節労働者

兄に笑われ、ごっこあそびを封印した私はソリ遊びにチェンジした。しかし、除雪した雪で作られた山は小さく、全然スリルを感じない。

んー、つまんないな。

辺りを見渡すと家がない区画が雪原になっている。おもむろにそこに足をいれたり、バタリと倒れて人型を作ったりするものの、盛り上がりに欠ける。すると、私に神レベルのひらめきがおこった。

真っ平の雪原をスノーブーツで丁寧に踏み固め、廊下や部屋、お風呂を作っていく。壁にあたる部分はそのまま雪原を残し、棚やテーブルは、雪原と踏み固めた床の間くらいの高さに手を使って慎重に押し固めていく。平面の間取り図と、屋根のない平家がミックスになった、2.5次元みたいな家だ。

日が暮れ作業を中断すると、今度は布団の中で内装を細かく想像していく。家具の位置を決め、そのデザインを考え、カーテンやカーペット、ソファカバーなどの色や柄を考える。んー、考えることがたくさんあるのに睡魔が襲う。

次の晩は、昨日の続きからスタートだ。
机の上に何を置こう。ペン立てには何を入れよう。ペンは何色セットにしよう。引き出しの1段目には・・・。
こんな細かすぎるところまで飽きることなく毎晩想像し続けた。

雪が降り、建築した家がほぼ消滅すると、一から別の家を造っていく。気に入らなかったり失敗したと判断すると、隣の区画の雪原に建築現場を移す。私の近所はおかしなミステリーサークル状態だった。

こんなに超多忙な設計士兼大工兼インテリアコーディネーターがいるのだろうか。そのくらい冬の季節は働いた。

大人になり引っ越しを重ねる度に、例のあそびのリアル版を繰り返したが、何かが決定的に違って楽しみを感じることはなかった。どこに引っ越しても仮住まいの気分。家具屋や雑貨屋めぐりをしても、満足のいくものはなかなか無い。

自分は贅沢者なのだろうかと悩んだこともある。

いやいや、私は別に高価なものが欲しいんじゃない。

何もかも自分で考えたい、子供の頃のあのプロセスを味わいたいだけなのだ。

そして一度だけでいいから、成果物として現実に自分の家を造ってみたい。

もちろん、人の手を借りて。何日も何ヶ月もかけて、引き出しの中身までをも想像し続けて。そうしたら、きっと、あの頃のノリコちゃんが喜んでくれるだろうな。


神様、どうか、ノリコとノリコちゃんの願いが、生きているうちに叶いますように。

(イラスト:まつばら あや)

 

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