《ドMの晩酌:第14夜》 忍者の修行
無理することが生き甲斐
朝のひと通りの家事を終え、おもむろにFacebookを開くと、6年前に投稿した写真が出てきた。どこかの公園で息子たちが泥んこになっている写真だ。
あー、この頃は彼らのお世話が大変だったな。
息子たちに当時の苦労話を聞いてもらおうとスマホの写真を見せるも「うんうん、お母さん、よくがんばったよね」と、ゲームに目線を向けたまま、かぶり気味にねぎらいの言葉を返すだけ。
はいはい、そんな話を聞かされたって君たちはつまんないよね。ていうか、君たちのせいで私が苦労したのではなく、自分が好んで苦労する道ばかりを選んできただけでした。どうぞゲームに熱中して下さい。
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長男が小1、次男が保育園の年中の時に私は離婚し、それと同時に起業した。
なぜ私は盆と正月がいっぺんにくるようなイベントを自分に設定したのだろうか。
きっと、期待に応えること以外に存在価値を見いだせない自分に嫌気がさし、会社員、嫁、母親という仮面をぜんぶぜーんぶひっぱがして、カワサキノリコとして生き直したい一心だったんだろう。
わかるよ、わかるけどさ、極端すぎるだろ、ノリコ。
しかも私は、小さなことからスタートし、ゆっくりと理想の形に到達するというプロセスが苦手だ。理由は簡単。待てないのだ。
もう頭の中に理想がある。それも、かなり細かく。であれば、どんなに無理しても最短で到達したい。ドMだもの無理するなんて朝飯前だぜ。だって、無理しないと生きた心地がしないもの。
このドMと猪突猛進的傾向によって、私は何度も失敗した。そしてお金を失ったり、3年連続で肺炎にもなった。音を上げるほどの状況にならないと私は学べないタイプだったってことですね。
ノリコったら、おバカさん。
と、苦労の根本原因は自分にあると理解した上でも、ウチの息子たちを育てるのは、楽ではなかった気がするな。とりあえずビールでも飲も。
謝ることしかできない
さて、今日の晩酌もキンッキンに冷えたアサヒスタイルフリー。それを、ぬるくならないように缶専用のマグにスポッとはめる。つまみは「鮭トバ」
私の両親は全くお酒を飲まないが、なぜが実家には乾物が常備されていた。スルメ、コマイ、ホタテの貝ひも、そして鮭トバ。
私が子供の頃によく食べていた鮭トバは、甘味があって手に油がつく加工がされている、若干ソフトなものだった。嫌いではなかったけれど、お酒を飲むようになるとあの甘味が気になりだし、今ではカラッカラに干された無添加の薄い塩味のものを好んで食べている。
口に入れると咀嚼に異様に時間がかかるが、徐々に旨味が口に広がる感じがたまらない。これでアゴの筋肉を鍛え続けているために、年々ガッチリした輪郭に進化している気がする。それに、私の奥歯が何歳まで私に乾物を食べることを許可してくれるのかも気になるところだ。
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私の息子たちは正反対の性格だ。これはどこの兄弟姉妹も似たようなものだろう。ウチの場合は、まるで夫婦のような兄弟だと私は思う。
長男は空気を読むのが苦手で、言葉にしてくれないと相手の思いを理解できない。何かに集中すると周囲の情報が一切入らず、3回呼ばれてやっと気が付く。人との会話よりも自分の世界の中に没頭したい自己完結タイプだ。
一方、次男は空気を読み、相手が求めていることを察することが得意だ。これは、良さそうな特徴に思えるが、何かに取り組んでいても周囲の音やモノに反応してしまうため、集中力が続かない。
宿題を1問解くごとに遊び道具を手にしてしまうほどだ。おまけに自分に注目を集めたいタイプで、ストップをかけるまで延々と話をする。
二人のケンカは、決まって次男がブチ切れることからスタートする。
「何回呼んだら返事してくれるの!」
「ボクが○○してあげたのに、なんでお礼の言葉がないの!」
「その謝り方、全然気持ちが込められていない!」
この次男の言葉に、長男はただただ同じトーンで「ごめん」を繰り返し、それがさらに火に油を注ぐ。
おいおい、君たちはどこぞの夫婦か。テレビやスマホに夢中になり返事をしない夫に嫁が怒り、ついでに日頃のうっぷんも思い出され、延々と怒っちゃうパターンだ。
うーん、どちらの気持ちもわかるな。でも、双方同じパターンを繰り返しているのはなぜだろう。「ケンカ」というゲームを楽しんでいるだけなら問題ないけれど、深刻に悩んでいる人もいるんだろうな。
ちなみに私は、この夫と嫁、どちらのタイプでもない。先回りし自分で負担を背負うことで、相手とぶつかることを避けるタイプ。言い換えると、相手に期待しないタイプだ。振り返ると相当失礼な嫁だったな、ワタシって。
そういえば、そんな私でも、ひたすら「ごめん」しか言えない夫役状態に追い込まれたことがあった。嫁役は、長男の小1の担任の先生だった。
手料理を食べさせたい
長男のこの傾向は、思えば2歳の頃から目立つようになった。
言葉を覚えるのは早かったが人との会話をあまりしない。屋外では、親から離れることを全く恐れず興味を抱いたもの目がけて走っていってしまい、敷物を広げてのんびりお弁当を食べることはできなかった。児童館や保育園でも、自分が狙ったオモチャにまっしぐら。ひたすら自分とモノとの世界に没頭していた。
しかし、自分が遊びたいオモチャへの執着心が強く、周囲の子どもとトラブルが絶えなかった。自分の考えや気持ちを言葉で表現することはなく、相手からの言葉の攻撃に対して手を出すために、いつも私が謝って回った。
集団行動に喜びも感じないようだったし、それに適応しないことに不安を感じるタイプでもなかったため、保育園の先生には相当苦労をかけたと思う。
そんな彼の小学校生活、順調にいくわけがない。
入学後、長男は学校を嫌がることは一切なく、時間になれば支度をし淡々と通った。しかし、ひと月ほど通った頃、担任の先生から度々連絡が来るようになった。団体行動に参加しないとか、授業に集中しないとか、そのような内容だったと思う。
そりゃあそうだよ、本人が興味ないもの。
内心そう思ったが、そんなことを先生に正直に言うわけにはいかないので、とりあえず「息子によく言い聞かせます」とか「すみません」みたいな返しでしのいでいた。
長男のすごいところは、抵抗しないことだ。
イヤイヤ期もなかった。
とりあえず置かれた環境を受け入れ、そこで自分のやりたいことを見つけ集中する。
だから、学校に行きたくないとか、集団がイヤだと抵抗するよりも、「楽しくはないけれど、鉛筆や消しゴムを使って遊んで過ごそう」とか、「体育館に移動したいわけじゃないけど、そうしないといけないみたいだから、移動中の自分は飛行機になろう」みたいな感じで、どんな場でも自分の世界を作って楽しんでいたわけだ。
しかし、学校にいる自覚のない長男が、先生にとっては理解不能で問題だと感じたのだろう。
当時の私は、仕事が終わると電動自転車をぶっ飛ばし保育園に次男を迎えに行き、長男が待つ学童保育に迎えに行くというのが日課だった。
長男とは正反対の話好きな次男は、自転車に乗っている時も、学童保育がある小学校の中でも、常にデカイ声で「あのバイクカッコ良かった」「お母さん、これ見て!」を連発していた。
学童保育の部屋は職員室の並びにあったため、次男の話し声のせいで私は担任の先生にいつも見つかった。そして、廊下で延々とその日の長男について報告され、どんなに謝っても終わらない。
あー、今日も夕飯を作る時間はないな。
スーパーのお惣菜を温めて出すなんて嫌だな。
ちゃんと息子たちに手料理を作ってあげたいな。
こんな日を、月に何度も送る生活だった。
本当の望み
「ごめん」しか言えない夫役状態にほとほと疲れた私は、ある作戦を思いついた。小学校の廊下のタイルは白を基調としていたが、ところどころに違う色のタイルが敷かれていたのだ。
私は次男に「今から忍者の修行を開始する!白いタイルには毒ヘビやワニがいるから、色のついたタイルだけを渡るのだ!声を出すと敵にバレるぞ!静かに進め!」と指令を出した。
次男の表情は真剣そのもの。必死に色のついたタイルにジャンプして進む。そして、長男を引き取り見事学校を脱出。
この作戦が功を奏し、暗い廊下で延々と先生の話を聞かされる頻度は減ったが、根本的な解決にはつながらないことはわかっていた。
私の学校や先生に対する本当の望みは、息子が集団に参加したいと思えるまで、そっとしておいて欲しいというものだった。
でも、それを言ってしまうのは、責任を全うしようと真剣な相手にとって失礼だろうと思っていたし、他の児童への影響もあると言い返される可能性も高く、謝ることしか浮かばなかった。
先生も延々と日々の出来事を私に言って聞かせることが、本当の望みではなかったはずだ。
でも、私たちは、互いにそれを伝え合うことを避けた。
そして、互いに「この人はわかってくれない」と思い込んでしまった。
私は自分の人生で、何度この「わかってくれない」を繰り返してきたのかな。
本当の望みを隠し、察してもらおうと遠回りすることばかりを繰り返してきたのかな。
そうこうしているうちに、自分の本当の望みすら気づけなくなって、どっちを向いていいのかもわからなくなってしまったこともあったよな。
でも、これって、いたる所で起こっていて、たくさんの悲しいドラマを生んでいるんじゃないのかな。うーん、なんだか切なくなってしまって全然酔えないじゃん。
今日は4本目飲んじゃお。シュポッ。これは私の人生における重要なテーマだということだけは確かだな。
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話を長男の件に戻そう。
きっと先生の望みは「責任を軽くして欲しい」ではないかと私は思った。そして、時を同じく別ルートで自治体の発達障害児支援(こんなストレートな名称だったか忘れた)があることを知り、そのサポートを受けることにした。
専門の指導員が、担任の補助として常に長男に付き添ってくれるようになったことで、先生からの連絡は一切無くなった。
ちなみに長男は、相変わらず自分の世界を楽しんでおり、この専門の指導員の存在すらわかっていなかった。
さすがの集中力っすね。
うらやましい。
ノリコ41歳。
長男と次男の性格は正反対ではあるものの、実は集団に適応する発想が1ミリもないという共通項があり、後に次男のことでも苦労することを、この頃の彼女は全く気がついていない。
(イラスト:まつばら あや)
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