見出し画像

器の大きい人に囲まれて

ど~も~。旅ノリです。
以前に会話したことを思い返すことが多い、今日この頃ですが、最近よく思い出すのは、やはり大学のラグビー部でのチームメイトとの会話です。自分たちのラグビー部の人数はそれほど多くはないものの、20名程度はいるようなチームでしたので、話をしていてもそれぞれ価値観が異なり、プレーのことでも、私生活のことでも、それぞれ違った意見を持っていました。特に、私と価値観が合うという場合はレアケースだったため、チームメイトからはそこそこ変な奴だという視線を向けられていたのではないかなと、思い返してみるとわかります。(自分はまともですけど、) そんな価値観がバラバラなチームメイトとも楽しくラグビーができたのは、チームメイトの器が大きかったからだと、今、実感しています。というのも、社会人になってみると、もっと私のことをよく知らない、色々な方と話す機会が増えました。その中で、「価値観が合う」ことを期待してはいませんが、 この人は受け入れてくれないのだなぁ。 と感じるときもあります。前置きが長くなりましたが、今回はそのような、相手が受け入れてくれないと感じる場合の考え方について、私の解釈を紹介したいと思います。

なぜ、受け入れてくれないの?

そもそも、受け入れてくれないと感じた理由を考えてみましょう。下記のようなシチュエーションがよくあると思います。

ある日、私はプレゼンを行いました。
私のプレゼンに関して、参加者にレビューをしてもらったところ、参加者の一人は「君のプレゼンはダメだね。及第点に達していなかった。もっと、ここを直せばいいね。」と言いました。私はこのアドバイスを受け、改善点をわかりやすく指摘してもらえたので、今後改善可能だ!と考えつつも、”もやもや”が残りました。

いかがでしょう?このようなシチュエーションは、自身で何かを発信するときに起きやすいシチュエーションだと思います。ここで、受け入れてもらえないと感じたため、”もやもや”が残ったのですが、この”もやもや”の正体は、最初の「君のプレゼンはダメだね。」と頼んでもない評価をされ、その評価についても、自身が望んでいない回答だから、と私は考えます。こちらとしてはレビューをしてもらいたいので、足りない部分があることは重々承知しています。そこで、改善点を挙げてほしいので、望んでいる答えは、「もっと、ここを直せばいいね。」の部分でした。

このように、レビューしてもらう=評価をしてもらう、というイベントですので、シチュエーションであったような”もやもや”に遭遇してしまうのではないでしょうか。ここで、『批評』という言葉について辞書を引用します。

批評
事物の美点や欠点をあげて、その価値を検討、評価すること。狭義に芸術批評、ことに文芸批評をさすことも多いが、広義には政治、経済、科学、スポーツから日常生活に至るまで、人間営為のすべてを対象とする。

日本大百科全書 『批評』一部引用

『批評』は初めにどこが良くて、どこが悪かったのかを挙げ、それを基に『評価』を行います。最近の、分かりやすい説明をするための解説書などには、[結論ファースト]で、ものごとを伝えることが、早く伝わる方法として取り上げられていますが、こと『批評』を相手に伝える場合は、良い点、悪い点を伝えてから総評しなければ、ただ評価される身としては、なぜ頼んでもいない評価をしてくるのか?という疑問が生まれます。

このようなことを会話の中で考えていたら、堅苦しいでしょうが、少なくともラグビー部のチームメイトと話している際は、皆『批評』の目で意見を交わしあえていたと思います。そういった『器の大きい人』に囲まれて成長できたのは本当に良い経験だと思います。

結論

自分の意見を相手が受け入れてくれない場合、どのように解釈すればいいか、について、そのような相手に対しては、器が小さい人ですねと、相手を受け入れてあげてください。あとは相手も直すべきところを指摘してくれるので、そこだけ真面目に聞いておけばOKです!

皆様が受け入れてくれない人を気にせずに、ガンガン発信している姿を応援します!
したらね~!

あとがき

「あとがき」を書こうとしまいしたが、今回は少し頭を使ってこの記事を書いたので、もう書けません。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!