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「あぁ、栄光は君には【やっぱり】輝かない?」。キャリアポルノ中毒者の残念な生態

【「キャリアポルノ」って?】
最近は「キャリアポルノ」というワードがあちこちで見られる。要するに、本屋に行けば山のように並ぶ「ビジネス啓発本」のことだが、この「キャリアポルノ」というワードは「中毒」というキーワードと一緒になって、ネガティブに語られることが多くなった。「キャリアポルノ中毒者」がかなりの数がいるのは、本屋の店頭で見るとわかる。「ビジネス系啓発本」は売れているのだ。実際に本屋に行けば、なかなか刺激的な書名が並んでいる。「XXを知らなければXXになる」とか「XXだけで行ける!秘密のXX」など、「この本を読めば、すぐに人生に光が差して全てが輝いて見える」というような、そんな本が溢れている。が、冷静になって考えて見ればわかるが、本を読めば何でもうまくいく、というのであれば、誰も苦労することはない。「はて、こういうのはどこかで見たことがある。この既視感はなんだろう?」

【それって、まさか。。。】
思い出した。ひところの新興宗教とか、自分の若いときに流行った「自己啓発セミナー」などと、同じ匂いがする。自分も、どれどれ、どんなものかいな、と、誘われるままにそういう人たちが集まる場所に、若いときはヒョコヒョコと騙されてはでかけたものだったが、今、思い返しても、あまり上質な暇つぶしではなかった、という思い出しかない。むしろ、そこに集まる人たちの持つ「自分の人生への不安や閉塞感」が一定以上の人数分まとまった、という感じの、その匂いが耐えられない、という思い出だけが、横浜中華街の関帝廟通りの道端の肉まんを蒸すせいろの煙の匂いのように、いつまでも鼻についている。(あるいは、電車で女子高生が集団で乗ってきて、突然満員電車になったときのあの匂いに囲まれた感じというか)

【自分には必要ないもの】
「それ、自分には必要ないな」と思ったが、それを言うのはやはりその場の「ハマりきっている」人たちに言うのは気の毒なので、ごく内輪と思える人だけに「こんなのがあったけど、自分とは違う世界で、自分には必要ないなぁと思った」ということを伝えただけだったが、自分にはなぜそういうのにハマるのか?がまるでわからなかった。自分がそれらの人たちと違うのは、どこだろう?と考えて見たが、どうも、わからない。おそらくわからないから、そういう人たちになにかを言う資格は自分には無い、ということで、これまではあまりこのことについて語ることはなかった。

【具体的なものが】
思い返せば、自分がやってきたことや見てきたことは、自分の身体の外から影響を与えられ、外に影響を与える、というバランスが常にあった。自分をその具体的なもので変えていき、勉強して、自分自身が何度もその場で生きることに素早く集中して最適化して自分自身を変化させてきたし、そうしなければ生きて行けなかった。自分を変えて、やっとモノにできるものがあった。いかに自分をその場に合わせて急激に最適化していくか、ということに集中した。結果として、自分が状況を変えるのではなく状況に合わせて自分が変わっていく、ということに躊躇はなく、不安を感じている暇もなかった。眼の前にあることが面白く、のめり込んで集中しているうちに、技術の世界であれこれやるようになり、気がついたらインターネットを日本に持って来る仕事をしていた。そして、そのインターネットが世界を変える様を見て、自分自身が驚いた。いつも、具体的な技術が目の前にあり、それに合わせて自分も変えて行き、自分の外には自分が作った具体的なものが積み上がり、出来上がっていった。それがエンジニアとか研究者というものだった。自分だけではなく自分の仲間もそうだった。

【「自分がなったつもり」になれる?】
ということは「自分がなにか特別な存在になったつもり」ということがなかったし、そういう刺激もなかった。しかし、この「キャリアポルノ本」の一つを手に取って見たら「なにも実質的・具体的なものがなくても、あなたは特別だ(だからもっと自信を持て)」のようなメッセージにあふれていた。そうやって自分を元気にして、ということだ。まさに「キャリアポルノ」の「ぽるの」たるところではあるが、思い返せば、そういう不安を持つ時間さえ自分は無かった。やるべきことがいっぱいありすぎた。結果として、自分には「キャリアポルノ」はどうでも良かった。自分としても必死だったんだな、と、今にして思う。尊敬する人はいない。みんなが必死になって生きているところを目の前にしたら、赤ん坊からでも学ぶものはある、と言う気になっただけだ。

【それが全てとは言わないが】
こういった自分の人生が全て良いとも言いにくいが、キャリアポルノとは無縁でいたし、新興宗教も自己啓発セミナーも結果は無縁だった。ただ「小さくても具体的な手に取れるものを大切に。そこに集中するといいよ」とは言えるのじゃないか?とは思う。

「脱・キャリアポルノ」こそが、本当に自分を変えていくのだろう、と、今は思っている。

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