解説系YouTuberの苦悩に見る時代の変わり目
【もっと簡単に】
解説系のYoutuberの嘆きをよく聞く。しっかりと解説したはずなのに「もっと簡単に教えろ」「解説が長い」というコメントが結構多くつく、ということだ。
【「正確」より「簡単で短いもの」】
つまり「解説内容が複雑なこと」を、正直に解説すれば、それは複雑で長くなるが、それでは聞いている自分がわからないから、なんとか簡単にしろ、というコメントなのだ。別の言い方をすると「俺には複雑過ぎてわからないから、もっと簡単にしろ」である。
【「何でも簡単にできる」という誤解】
ここには以下の誤解がある。
1.世の中には難しいことはほとんどなく、どんなことでも簡単に解説できるはずだ。
2.人は全て平等だから、Aさんにわかることは必ずBさんにもわかるはずだ。
3.物事が解りにくいのは、解説する人がうまく解説できないのが悪い。
【世の中には簡単には言えないことがある。それを受け取る能力の差がある】
しかし、世の中には「結局は単純なこと」もあるが「結局は複雑なこと」はある。簡単なことよりも複雑なことのほうが多い場合もかなりある。複雑なことをそのまま頭に入れて物事を考える能力の差が人によってあることは、明らかに私たちは知っている。子供の頃に学校でそれは経験している人がほとんどだろう。結果は「学業成績」で表現されるのも知っている。また、世の中に出てからも、能力の違いを目の当たりにして落ち込む、なんてことも多くの人は経験しているはずだ。しかし、前記のような「誤解」はなぜ生まれたのだろうか?
【製造業に適した人間を作ってきた】
おそらく、日本に限らないが、第二次世界大戦後の世界では、製造業に適した人材を多く作る必要があったためだろうと私は推測している。
【ロボットのような人間が必要だった。でも人間だよ】
製造業の多くでは、今思い返せば、命令一下同じように物事を考え、同じように動く「ロボットのような人」を大量に必要とした。しかし、このための教育を受けてきた人は単純な命令ならこなせるが、複雑な命令や抽象的な命令では動かないし、曖昧な命令も命令として理解できない人も多い。しかし、こういった「難しいことを考えず、上の言うことを聞いてりゃいいんだ(それで生きていける)」ということを考える人でも、自分のそういう考えを卑下することなく、自信を持って「やる気」を出してもらう必要があった。人間はロボットのようであっても、人間だから、メンタルはどうしてもあるし、プライドもあるからだ。そこで、考えが浅かったり、複雑な思考ができない人でも「そのままのあなたで自信を持っていいんだ」というメッセージを、常に受け取ってもらい、気持ち良く仕事に励んでもらう必要があった。
【「そんなあなたでも必要だから」というメッセージ】
そこで、誤解を恐れずに言えば、多くの人には「バカでもいいんだ(生きていける)」というメッセージを受け取ってもらうことによって、製造業で多く必要とされる人材に人間としての生きる自信を持ってもらい、極めて優秀な「ロボットのような人」を大量に作ってきたのだ。
【これからはロボットのような人はいらない】
ところが、2000年代初頭の「デジタル技術の普及」が、この状況を一変させようとしているのはご覧の通りだ。「ロボットのような人」は、必要な人材ではなくなった。それは本物のロボットがやる時代になった。メンタルという厄介なものを持たないロボットは、人より安く、速く、正確に仕事をこなす時代に変わりつつある。ものにもよるが、かなり複雑なリクエストもAI技術などでこなすことが多くなった。最近話題となっている、イラストを描くAIシステムなども、その具体例の一つだろう。
【モノ作りにおける人の役割は変わった】
「モノを作る仕事」には、人が関わる場面はこれからも減っていくだろう。人がすべきことは「何を作ったら良いかを考えて答えを出し、ロボットに指示すること」に変わったのだ。
【人がロボットになって働く時代は長かった】
しかし、人間が製造業でロボットのように働く時代は長かった。未だに「簡単なこと」を求める人が多く、Youtuberの解説動画のコメントで自分が理解できないことに腹を立てて、また、それが自分の方に原因がある、ということも理解したくないので、そういう解説系Youtuberに文句を言う人が多いのは、おそらくその時代の教育を受けて、その時代に必要だったメンタルを持ち、そしてまだ生き残っている人なのだ。
人という種は、デジタル技術の出現で大きなその存在の転換点を迎えた。
複雑なことを複雑なまま頭に入れる能力がさらに必要な時代になった。
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