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DXの要「デジタル・フォレンジック」。

【日本のDXの行き着く先】
組織のDX化の行き着く先は、例えば経済産業省の唱える「Connected Industories - 接続され一体になった産業」がその本質を表しているのではないか、と個人的に思っている。つまり、同業種、異業種、政府機関、会社、などが全てつながり、お互いにオープンな関係を築き、お互いに一体感を持ち、より大きな規模で産業などの発達を促す、というものだ。

【目指すは「共生社会」】
これは「共生社会」という言葉とも整合性があり、当然だが、SDGsなどとも整合性がある。西欧社会では「ノーブル・オブリージェ」という考え方が社会の軸となっている、と思われている。つまり、誰か優れたスーパーマンが、一人で多くの人を引っ張っていき、地域社会などを動かしていく、という考え方だ。この考え方によれば、人間社会は「共生」ではなく、一人の人を中心とした人の集合どうしの闘争によって、発展していく、と考える。なぜそうなるかと言うと、一人の人が見られる範囲、制御できる範囲は、その脳の大きさによって限られるからだ。

【西欧社会と日本社会の違い】
つまり、地域を基礎とした人の集合の要に、西欧社会では「一人の人」がいるか?あるいは、日本では「合議」があるか?の違い、ということになる。どちらもメリットもデメリットもあるだろうが、日本のDXとは、そういう方向を向いているのだろう、と、私は思う。

【デジタル・フォレンジックは全てをオープンにする】
既に米国では多くの法律事務所などがクラウドを基礎にした「デジタルフォレンジックのシステム(Digital Forensics System)」の導入が進んでいる。このシステムによって、企業内の監査などで、不正を発見することが容易になる。また、外部に対してはかなりオープンとなり、隠し事がしにくくなる。企業秘密はそれとして守られるが、そうでない情報は公開され、誰でも調べることができる。例えば、企業のある行動の決定はどのようなプロセスで、誰が責任を持って行われたか?などの情報は、開示請求があって、その同意が行われれば、誰でもできることになる。これは、社会を揺るがすような事件が起きたときも、公明正大にそれを追求することができる、ということも意味する。したがって、税金で賄われている政府機関などは、公共のものとして、ほとんどの情報を開示せざるを得ない。これが行政のDXの標準となる、ということだ。

【隠し事のない企業社会】
おそらく、地域の政府も企業もDXが「隠し事ができない」時代になっていくのだろう。何かの決定が料亭で行われたことも、あるいはゴルフ場のレストランで行われたことも、あるいは夜の繁華街の一角で行われたことも、全てがあからさまになる。恐らくこの先はそういう社会になるのかもしれない。それがDXなのだし「新しい資本主義」なのだろう。そうならざるを得ないのだ。

デジタル・フォレンジック。覚えておこう。



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