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飽きられた「論破ショー」。

【「論破」は遠い昔の昔話】
「論破」が流行ったのは、もう縄文時代のことかなぁ(いや、ジョークですけど)。今は「丁寧に説明する」「その後じっくりとみんなで議論する。落としどころを探す」が普通になったね。

【「論破ショー」には変える力がない】
結局、論破しても、された方はなにも変わらない。「勝った負けた」で物事は動かないし、人の心はもっと動かない。論破という「勝負」「試合」は、分かりやすく目に見えやすいゲームなので、世の中はそういう勝負で出来ているように見えてしまう。ところが、そのくらいの勝負では世の中に影響は無いんだな。その中身とは関係ないんだね。つまり、「勝った負けた」というのは、分かりやすくするために詳細省略して見せている「世の中のようなもの」なので、ウソが混じるんだね。あるいは、それそのものがプロレスのような「ショー」なので、ショーはショーでしかないんだね。ショーは見ている観客は楽しんで見るものだけど、世の中はショーだけで出来ているわけではなく、ショーの足元にある様々なものが世の中を創ってるんだな。

それがただのショーに終わるか?そうでないか?

しっかり見極めて、実際に世の中がどう動いているかを理解しよう。

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