見出し画像

プログラミングで「人生一発逆転」のノウハウ

【プログラミングのちからが】
「プログラミングスクールに通って人生一発逆転」みたいな話を聞いたが、プログラミングスクールの「売り文句」としてはかなり成功しているし、時流にも乗っている。これには「だまされてはいけない」と言う人も多いが、可能性はゼロではない、ということであって、しないよりやったほうがマシだと思うよ、と言うのが本当のところなんでしょうね。つまり「ウソではない」。しかし、多くの人にとっては「一発逆転」はおそらく無い、という確率の問題として、明確なウソではないけれどもウソっぽくなってしまうことが多いだろう、ってことだね。

【「資格」も。。。】
そういえば、似たようなのは昔からあったよな、と思うのは「資格試験」だ。今や「資格」は、様々ある。国家資格もあれば、企業が作った資格もある。企業が作った資格でも、権威が認められているものもあれば、そうでないものがあるし、国家資格でも取得しても全く役に立たないものもある。結局、資格に伴う実力が必要であって、資格はそれを証明する一部、ということだ。それが証明されても、世の中にニーズがなければ資格は一銭のお金にもならない。砂漠ばかりの土地で、交通機関はラクダなどの動物のみ、というところに行けば、自動車レーサーのライセンスは無用の長物だ。そこではそのライセンスは一生使うことはないだろう。←例えが極端でごめん。

【教養としてのプログラミング】
「モノ作り」の現場では、多くの電子機器がCPUを積み、ソフトウエアで動いている。アナログの顔をした掛け時計でも、中身はCPUを積んでいて、時計の機能はソフトウエアが動かしている。今や「電子技術」と言えばプログラミングのお世話にならないものはない。そういう意味で需要はあるのだ。だから、「食っていく」には、プログラミングの技術は「あったほうが無いよりも良い」と言うのはおそらく間違いはない。どのくらい間違いがないかというと「フグの肝には毒があるから、フグは専門の職人さんの料理で食べるのがいい」ということを知ってる、ってくらい間違いはない。←訳のわからないたとえ話ですみません。

【得意は楽しい】
結局、人間はそれぞれ個性があるので、得意・不得意は誰でもあるものだ。得意なものを伸ばせば、人よりも秀でると認められることもあるかもしれない。でも無いかもしれない。少なくとも、不得意なことを続けていくよりは、成功の確率は高い。が、それだけのことだ。しかし、他の人に認められなくて、お金にもならなくても、得意なことは楽しい。この楽しさはいくらお金を積んでも得られない、って人だっている。「得意」は「好きこそものの上手なれ」だ。他の人の目が気にならないほど集中して楽しめることを探すのが、人生を豊かにしていくことは間違いない。

【プログラミングの能力がなければさっさと諦めろ】
私も、自分でプログラミングの本を書いて多くの人に読んでもらったことがあるので、プログラミングを教えたことがある。教壇の上から見ていると、明らかにプログラミングへの向き不向きは、個人個人で違う。向いている人はちょっとヒントを与えるだけで、教えていること以上に、短い時間にどんどん先に進んで行く。向いていない人は何度も教え方を変えても、理解まで時間がかかる。または全くできない。また、「できないことは早々にあきらめて違うアプローチをする」という「諦め」が上手い人がいる。そういう人は、さっさと私が教えたやり方とは違うやり方を見つけて、先に進める。「プログラミングの能力」と言っても本当に個性が多様だし、勉強したらしただけ伸びる人もいれば、何年やっても、なにをしてもだめな人もいる。前者はそれを仕事にして、お金もいただけるように、もちろん、なる。後者の人はならない。ダメに当たった場合は、教えられる側にとっては多大な時間の無駄だし、教える側にとっても時間の無駄だ。

能力の差は歴然とある。ダメとおもったらあきらめろ。

自分と他人。周囲を見て比べ、判断をするのも能力のうちだろうし、その判断に従って「ダメならさっさと諦めて違うことに目を向ける」のも、能力だろうな、と思う。つまり、ダメな人はとことんダメだ。この能力全てが無い、ってこともある。だから、教える側がすることは「君はだめだから諦めて違うことをしたほうがいいと思うよ」と外側から言うくらいしかできることがない。教えている側としても言い難いものだが、それがおそらく一番やさしいその人への接し方になる。これ、誤解されることもあるので、気をつけて言うようにしているのだが。そして、プログラミングに関して言えば、とりあえずなんとかなる人はわりといる。全くダメな人は少ない。すごく優秀な人は更に少ない。ちゃんと正規分布してるよなぁ、ってことだ。

【「人生一発逆転」のためのプログラミング学習はこうしよう】
プログラミングの学習の「結果」には以下の3つがある。要はこの3つの結果に自分がいかに速く到達するか?だ。どんな結論になるにしろ、速く結論を出せば、それだけ人生という限りある時間の無駄を最小にできる。

1.それを仕事にできるほど力をつける。やっている自分も楽しい。
2.仕事にできるかできないかわからないが、とりあえずどんなものかわかる。ヘタの横好きかもしれない。
3.何やっても全くダメ。やっていても面白くない。

2,3の結論の場合はさっさとプログラミングで仕事をすることを諦めて違う道を探すことに専念しよう。その違う道の途上でプログラミングの知識が役に立つことがあるかもしれないが(世の中の多くのところでソフトウエアが使われているから)、プログラミングそのものには手を付けないほうがいい。「1」の結果が出たら、迷わずプログラミングで生計を立てる道を選ぶことをおすすめする。自分で自分が「1,2,3」のどれかがわからなければ、はっきりと、教壇に立って自分に教えてくれている人に聞いて見よう。

「プログラミング教育」それは自分がそれに向いているかどうかを手っ取り早く知るための手段だ。習って自分が能力を高めるためのものではない、と割り切ろう。

だから「結果を得るのに時間をかけない」「結果を得るのにお金をかけない」「得た結果で一喜一憂しない」「得た結果でその先の自分が歩む道をある程度決める」に徹しよう。どんな人間にとっても、お金も時間も有限なのだから。

【「人生一発逆転」はここからはじまる】
「プログラミングで人生一発逆転」できる人は非常に少ない以上、それができるかどうかの判断をプログラミング学習でしよう。プログラミングが得意になるにしろ、ダメになるにしろ、そこからあなたの「人生一発逆転」が始まることを期待している。要は「行動」「物事のメリハリ」のきっかけとして、プログラミング学習というものを使って欲しい、ってことだな。それができたら、プログラミングが仕事になるかならないかは別にして「一発逆転」の可能性が高くなるのは、言うまでもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?