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「編集者」も時代とともに変わる

【日本の出版業界のいま】
結局、出版という業界は「書きたいことがある筆者」「他の人に役に立つと思うから書く筆者」という人が来るところではなく「出版で儲けたい筆者が来るところ」「紙の本にこだわってそれに愛着のある筆者が来るところ」になったんだなぁ、と思うな。

【編集者もしたいことしかやらない】
なにせ編集者は編集者のやりたいことと、紙の本を通じてカネに出来ることしか興味がない。筆者が読者に何を伝えたいかを知り、それを実現する、という、昔あった編集者の役目は放棄されているんだな。

【だから筆者は出版まで自分でやろう】
自分で書きたいことがあって、自分で書ける人は、編集者も出版社も取次も本屋も通さずに、印刷業者も使わず、世の中に自分の文章を出す手だては今や豊富にあるから、それを使うべきで、編集者とやるときは、編集者も筆者と同じことを考えていて、編集者自身で書くよりも筆者に頼んだ方がいい、というときだけ、そうすればいいんだね。

【古い出版業界との比較】
言い方を変えれば、かつての「筆者がいて、編集者がいて、出版社があって、印刷業者がいて、取り次ぎがあって、本屋があって」それぞれが役目を果たす、という時代ではなく「編集者も自分の好きなことをする」という時代になったんだな。

【編集者だって人間だ】
良く言えば編集者という人間の主体がより尊重される世の中になった、とも言えるけれども、悪い面としては、編集者の興味のないものは、紙の本になりにくい、ということがあるんだと思うし、おそらく、それが従来からの出版業の崩壊にも寄与しているんでしょうね。

【デジタルは個人に力を与える】
とは言うものの、誰もが自分の主張をデジタル・インターネットで出せる世のなかになり、それが出版業そのものの衰退を作っているのは明らかだから、ぼくは、だけれども、編集者という仕事のこの変質というのは、その変化の一つであって、悪いことだとは思わないけれどね。

【懐かしき「古い出版業界」だけどさ】
今となっては「古い時代」の紙の本の筆者としては、いろいろな役目の人がワイワイとやっていた出版という仕事が減っていくのは寂しい感じもあるんだけれども、今や書きたいことがある筆者も、デジタルで自分一人で全てができる世の中になったんだから筆者はそこで生きられる人、トレーニングを当たり前のこととして受け入れ、人工知能をはじめとしたツールを使えて、文章も書ける人に限るようになったんだな。

【自分の場合は、だけど、楽しいね】
ぼくはまだ世の中に認知されていないものを扱うことがあって、それを広めるための筆者業(自分の仕事の一部)なので、編集者は、ほとんどの人が、ぼくがしていることの価値はわからないんだから、自分でやれって感じなんだよな。苦労は増えたけど、みんな楽しいよ。

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