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「芸術」はなんのためにあるのか?

【芸術と言ってもいろいろある】
「芸術」と一言で言うが、いろいろなものがある。「音楽」もあるし「絵画」もある。「写真」とか「映画」もある。そういうジャンルにとらわれない全く新しいものだっておそらくこの世にはあるだろう。それはぼくらの目に触れていないだけで。僕らの目に触れないものでも、有名でないものでも、お金にならないものでも、「芸術」はある。

【円空仏を見てみよう】
「円空仏」というのがある。日本の各地にそれはあるが、それを彫った「円空」は、それを商売にすることはなく、他人にそれを見られることを考えず、ただ自分の宗教的な意味・自分の興味だけでそれを彫り続け、日本中にそれを置いていった(なんと「円空仏」は12万体あるという)。今、それはあちこちで「味がある」「これぞ芸術」などと評価されているが、今だから、であって、当時はそういうことはまずなかっただろう、と、想像できる。お金のために作ったものではない。そんな「円空仏」も、今は「芸術」と言われている。

【「芸術」とはなにをするものなのか?】
「芸術」でメシを食う人もいるが、食えない人もいる。「芸術家の卵」と言われている人でも「食えない」人も多い。では、経済的なものではないとしたら、芸術とは何をするものなのか?なぜ人間の社会に「芸術」があるのだろうか?

芸術でメシを食うのは、芸術を推進する上で培った技術でメシを食う場合が多いのであって、芸術そのものではないことがほとんどだ。「デザイン」がお金になるのは、今の社会の人が必要としているものを生み出すからで、それは「商業芸術」ということになる。芸術で培った技術の一つの「使い方」に過ぎない。

【「人間の生きる場所を広げる」のが、芸術の役目】
たとえば、今、わたしたちは「電気」があるのが当たり前という社会にいるが、「電気の発見」をした人たちは「面白い」と思ってそれを始めただろう。「将来役に立つ」と思ったことはおそらくほとんどないだろう。「将来役に立つかも知れない」程度は思ったかも知れないが。であれば、電気を発見した当時の人は「芸術家」だったのだ。当時は無償でやっている行為だった。その行為には答えがない。でも、こんなことがあるなんて、こんなことができるかも知れない、なんて、面白いじゃないか。

時代が下って、ぼくらはいま、電気を使わなければ生活も成り立たない。

今は、海のものとも山のものともわからないが、面白いからやっている。なぜ面白いと思うのか?は、おそらく、今まで普通に見てきたことと違うからだ。普通に見てきたことと違うということは、今自分が生きている社会の外にそれはあるからだ。その「今の社会の外」に最初に手を伸ばし、そこにも人間の活動範囲を広げる。それが先駆者としての「芸術家」の役目だ。その社会の中では「変わり者」と言われるだろうが、その活動は「人の活動範囲を広げる」ということに向かっている。

【音楽だってこういうことがある】
音楽も、西洋音楽の基礎を作ったバッハの時代には「和音」は、正規の和音だけで、それだけが心地よく聞こえた。しかし、今、ぼくらは「9th」「7th」なんていう和音を使う。最初にそれを使ったのは誰か知らないが、その「不協和音」は、人の和音に対する感性を「変え」て、人の音楽の範囲をちょっと広げた。電気のたとえほど大きな影響を人の社会に与えたわけではないが、音楽そのものの可能性を広げたのが「昔の不協和音」である、とも言える。

【「役に立たないこと」は人間にとって重要なことだ】
「役に立つこと」は、自分という人間の個体が生きていくにはとても重要なことだ。しかし、人間は社会をつくり、共同体で生きていくしか無い「動物」なのだから、その共同体が占有する「範囲」を、時間的にも、空間的にも広げる作業で、人間社会はさらに勢いを増していくはずだ。その「人の範囲を広げる」ことによって、今は見えないけれども「社会貢献をする(社会貢献になる)」のが、実は芸術であり、芸術家に、役に立たないことに興味を持たせる原因なのだろう、と最近、私は思っている。「役に立たないこと」とは、だから「重要なこと」なのだ。

【なぜそう思ったのか?というと】
自分がなぜそう思うようになったのか?というと「これ、面白いよね」という仲間で始めたことがあって、それが後の世でインフラに変わった、という経験を持ったからだ。本当に初期の頃の「デジタル技術」「インターネット」は、ぼくらにとって「面白いもの」であって、多くの人には全く理解されていなかった。ほんの30年ほど前のことだけどね。つまり、ぼくらは「面白い」から「インターネットに触った・追求した」のであって、ぼくらはそのとき「芸術家」だった。「後で」「勝手に」、「これはお金になるのじゃないか?」という人たちが群がってきた。と、ぼくらから見ればそんな感じだった。実際、ブラウザができた頃も、Microsoft社はインターネットには興味を示さず、後になって、その大きなお金を使ってインターネットの世界での商売を始めた。よく覚えているよ。本当に、商売の匂いを嗅ぎつける天才が、あの会社にはいた、と思う。

【「恐れずに」】
今は誰も見向きもしない「新しくてなんか面白そうなこと」をやっても構わない。今は役に立たなくていい。「役に立たないことができる贅沢を楽しめ」。そう、思うのだ。

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