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スマートフォンの「性能」はどのくらいのものが良いのか?

【「走らないフェラーリ」あるいは「底の抜けたザル」を持つべきか?】
クルマでデザイン、というと、必ず、フェラーリ、ポルシェなどが最初に出てくる。私は持ち物のデザインは気にするけれども、スマートフォンのデザインが最初ではなく、やはり「実用的に動く」が最初にあって、その後にデザインが気になる。まずは「クルマとしての基本機能・性能・耐久性」が使用に耐えない、というのでは、デザインがいくら良くても、まず持つ気にはならない。「公道を走れないフェラーリ」は、いくら安くても買う、ということはない。あくまで、自分の場合は、だが。ただし、人には多様性がある。「走らないフェラーリ」でも「走らない」ことは抜きにして、フェラーリのデザインは何事にも代えがたい、という人も、当然居ていい。動かないクルマを自分で改造して動かす、という趣味の人もいるかもしれない。だから、あくまで「自分の場合は」ということだけれども。

【今は1万円台のスマートフォンでもOK】
以前書いたnoteでは「1万円台のスマートフォンでも実用になる」ことを書いた。デザインもプラスチック外装だが、悪いものではない。手に持ったときに、滑って落ちない外装も良くできている。流石にこの価格となると防水・防塵などは中途半端であることは否めないし、画面で見る「処理速度」は、高いスペックを要求するゲームは無理だ。5Gもついていない。しかし、メール、スケジュール、マップなどの表示は必要十分で、遅いと感じることはない。中国メーカーのXiaomi(シャオミ)のスマートフォンだが、日本でもAmazonなどの通販で1万円台で買うことができる。日本のdocomo、au、Softbank、楽天にも対応しているので、普通の日本の都市生活者であれば、これで十分、という場面は多いだろう。

【「スマートフォンにも尖ったデザインがほしい」というニーズ】
スマートフォンにも、デザイン重視、という流れがある。FacebookのFBフレンドに教えてもらったdocomoの3Gの時代のスマートフォンがある。docomoにはボディを木にして、かつ、曲線を多く使った、斬新でエコを感じさせるデザインのスマートフォン(SH-08C)があったのを覚えているだろうか?どことなく、昨今の新しいスマートフォンに似ているように私は感じるが、それは置いておいても、いま、この木製の外装デザインのスマートフォンを新たな5Gで作ると、かなり売れる可能性がある、と私は見ている。docomoであれば、昨今は2万円台のスマートフォンも出してきて「低価格5G」を当たり前にしそうな勢いだが、これであれば5万円台でも欲しい、と私は思う。「エコ」「SDGs」「脱炭素」が叫ばれている現在「木製(しかも製材後に出る端材を使ったという)」のスマートフォン、というのは、やはりデザイン的にも、話題的にも、かなりイケているんじゃないか?と私は思うのだが。

【スマートフォンは「日常生活用品」】
日本ではApple/iPhoneのシェアが7割近いが、昨今は少しずつ、じわじわとシェアを減らし始めている。世界でのシェアはAndroidのほうが多く、それに日本も近づいているのかも知れない。実際、都内など都市部に出ると電車の中でのiPhone率は上がるように感じるが、地方都市に行くと、iPhone率が下がるように見える。長くこの業界で両方を使ってきているが、iPhoneだ、Androidだ、という違いも近年はかなりなくなってきていると感じている。細部にこだわれば、画面上のキーボードに左右のカーソルキーがあるとかないとか、いろいろあるのだが、大方の使い方も迷うほどのことはない。クルマの使い勝手の違いくらいな感じだ。少なくとも、自分には大きな違いは感じない。これは、スマートフォンが「日常生活用品」となった、ということによるものだろう、と私は思っている。

【「デザイン」の重さと軽さ】
昨今は、その機器の機能がどれも同じようなものであれば「ブランド」「デザイン」「広告宣伝」の違いで、モノの売れ方が違うらしい、ということはわかってきていて、積極的マーケティングの道具としての「製品デザイン(工業デザイン)」は多く言われる様になった。もっとも、これは機器の性能や機能の差別化が極限までできなくなってきていることによるのもだろう、と思われる。別の言い方をすると、製品の機能・性能はある価格であれば、ある決まった機能・品質になる、ということが一般的にわかっていて、安定しているのだ。だから、その上でのデザインが製品の「差別化」につながる。簡単に言えば「製品の品質が安定しているので、特別に新しいものが生まれないから、見た目のカタチでその商品を多くの人に欲しいと思わせる」ということだ。デザイン重視の世の中、と言うけれども、原点は「製品の機能・性能が安定していて、価格も妥当なもの」というのがベースになっていることは言うまでもないことだ。とうぜん、そこには「価格の妥当性」というものもベースにある。

【これからの日本のモノ作りの原点】
日本はアナログ時代の高度経済成長期に、多くの新しい製品を生み出して、世界を席巻していた。しかし、デジタル時代にアナログ時代と同じ感覚や考え方は通用しなくなった。日本人の給与は高度経済成長で高くなり、そして、高度経済成長が終わってデジタル時代が来ると、世界とのミスマッチを起こして凋落の道をたどった。おそらく、日本のモノ作りの行末は「モノ作りをする外国への投資による製造業支配」にせざるをえないし、そこにフォーカスを当てるべきだろう、と、私は思う。子供が大人に成長するとき、あるいは、社員が管理職に成長するとき、それまでの自分を振り返りつつ、それまでとは違う感性、やり方、考え方を体得して、次なるステージへの階段を上るべきだったが、日本はこの30年、それに失敗した、と、私は見ている。見えない時代の流れを見る事ができなかったのだ、と思う。

「昔うまくいったこと」はいま、通用しない。

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