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日本のマスコミの終わり?

【日本のかつてのマスコミは信頼されていた】
もう20年以上前になるが、日本の報道機関がまだ信頼されていたとき「これは新聞の広告に載っているからおそらく大丈夫(な企業だと思う)」という話を外国の友人にしたことがあった。それを聞いた外国人の友人は「(自分の国では)新聞の広告に載っている企業でも怪しいところが多いんですよ。これが普通です」というのに、驚いたことがある。日本の新聞、ってそこまで信頼があるものなんだ、ということに驚いた。

【日本のマスコミも「外国並」に】
しかし、最近は日本でも新聞もテレビも、信頼ということでは「外国並み」になった、という感じがある。どんな報道も「眉につば付けて見ている」というのが多くの日本国民が思っていることだ。だから、ネットの情報も最初から信頼していないし、マスコミの情報も、どちらも全く100%の信頼で見ていない。

「そんなもんかねぇ。わからないけどね。本当のところは」と言いつつ、みんなテレビも見るようになった。逆に、あまりに一方的な報道は「何かあるよねこれは」という疑いがさらに大きくなっていく。

【いま、日本のマスコミは「裸の王様」か?】
いま、マスコミで行われている報道を100%鵜呑みにする人は、既に日本にいなくなった。ネットでは誰もが語る。ネットでは双方向で、疑問があれば、質問もできる。挙国一致、みたいな幻想はなくなった。マスコミだけが「自分のしている報道は多くの人の信頼を得ている」と思っている「裸の王様」になっている。近年の視聴率の低迷、新聞の部数減少、ネット広告費がマスコミ広告費を上回ったこと。この全てが同じ方向を向いているのは、誰の目にも明らかだ。テレビタレントの視聴率以上の「フォロワー」がYouTuberについている、なんていうのもそのうちかね?既にテレビ出演を「踏み台」に、YouTuberで食う、というタレントも増えた。

【マスコミ企業は変わる必要があるだろう】
しかし、それにマスコミ自身が気がついたからといって、日本のマスコミ企業もなかなか組織を変えることができないから、なにができるわけでもない。「社会の一部としての役割が減ったし、これからも減っていく」という「現象」は、「昔の栄光をもう一度」と言って、戻せるわけもないし、強制的にそれができるわけもない。流れに身を任せ、次にやれる事を考え、マスコミ企業は変わる必要がある。NYTimesはそれを率先してやって、社内の仕組みも劇的に変えて収益を向上させた。日本のマスコミ企業の「生き残り」には、せっかく先人が作ってくれたこの先例を見ないで済ますのは、大きな損失だろう。

【高齢者もテレビを見なくなったのには驚いた】
周りを見渡しても「テレビではああ言っているけどさ」と言って「あんな報道は見たくないねぇ」と言って、これまで朝からテレビをつけていた高齢者も、朝ドラを見た後はテレビを消す人が増えてきた。これが数字に出るのは、少し後のことだろうが、この流れは確実に起きているのが感じられた。今からそれに恐懼している感度の良いマスコミ人もいるにはいるが、多くのマスコミ人はまだわかっていない。

【失った信頼は戻らない】
パンデミックも戦争も、今回の報道をきっかけに、マスコミ衰退の速度を加速させたように、周囲を見渡してみるとだが、見えてしまう。これは政治的な右左とも関係ない。政治の右左なんて、今は形骸化したルーティン、昨今の製造業の言葉で言えば「コモディティ化したなにか」でしかない。

【「メディアの権力」の時代の終わり】
ハルバースタムが書いた「メディアの権力(The Powers , That Be : 1979)」の時代は、既に終わろうとしている。それでもまだ、モニュメントバレーのかつての火山の芯の石柱のように、マスコミは残るだろう。かつての権力を持った時代の栄光をその崩れつつある石柱の中に密かに保ちながら。

【ベトナム戦争のおもひで】
そして「あそこ」は、ベトナムのようになるだろう。同時に、そこには、変わるべき時代に変われなかった日本のマスコミの墓標がひっそりと立つだろう。その後、誰知ることもなく、それは年月とともに朽ち果てていくだろう。

私はそう見ている。


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