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「君たちはどう生きるか」がわかるとき

【ある道】
既に、世の中のクライシスからの個人救済の最後の砦とも言える「巨大損保会社」と「巨大中古車ディーラー」の闇が暴かれ、それと同時に「勝ち組経営者親子」の、親が子をなにがなんでも守る、という姿勢も、直接の創業者の親の嘘偽りの無い姿が垣間見えた記者会見で、そのかたちがすぐに報道された。経済原理から言えば親子の絆も「お金」という世間に通用するもので測られることがないと「公」ではないが、それは、これからじわじわと、この経済原理に従わない頑固で真面目で古くも美しい絆を持つ親子に降りかかってくることだろう。「親は子をしっかりと抱きながら、ともに、なんとか再び這い上がろうともがきながら奈落に落ちていく」という、おぞましくも恐ろしいそのイメージが、私の頭の中から離れない。彼らは、悪魔に魂を売ったのだろう、と思う他はない。そういう道を選んだ人たちなのだ、と思う他はない。

【旧社会から新社会へ】
言い方を変えれば、あの会見は「情」で生きる「旧社会」と、「経済原理によるシステム」で生きる「新社会」の大きな溝の間に、あの親子が落ち込む姿をイメージさせる、とも言えるだろう。そういう意味での私個人としての深い同情を禁じ得ないと同時に、あの親子の尊い犠牲の上に、人の社会が新しいグローバルで公正な社会に向く、大きな指標として、歴史に刻まれるものになるのかもしれないし、あるいは忌まわしい歴史として、日本だけではなく、どんな歴史に刻まれることもなく、消えていくのかも知れない。などと思ったりする。

【あのスキャンダルの「情」と「システム」】
同じ意味で、芸能プロダクションの故人となった創業者の人権スキャンダルも、国連さえ認知するところとなり、これから「情」というものはグローバルな社会からの排斥を意味する、ということも、おそらく同じような文脈での「指標の1つ」として見られることもあるのだろうと、私は思う。

【君たちはどう生きるか】
そういう意味で「ジブリ」の話題の新作「君たちはどう生きるか」は、ジブリを支える高齢世代による、旧世代から新世代へのバトンのようにも見えないではない。「人とはこういったもの」であり、その中でも「生きるために人間とその社会は美しい幻想を必要とする」という、ありのままの二律背反をそれは示す。そんな作品のようにも私は思うのだ。


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