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言論空間はインターネットの一部でしかないんだよ。知ってた?

【文系インターネット・理系インターネット】
インターネットというと、結構多くの文系の人は、政治的立場の左右問わず「言論空間」としてのインターネットを語っているんだな、というのが最近わかってきた。自分はインターネットというインフラストラクチャーについて語っているんだが、なぜか議論が噛み合わないんだね。なんでかな?と考えてみるに、そう言う違いがあった、ってことだね。

【理系インターネットは「水道管」】
ぼくらのようなインターネットに最初から携わって来た技術畑の人間は、水道管とか水道網とかについてあれこれ作ってきたんだよね。でも、最近の「言論人」の言う「インターネット」は、その水道管の中を通る水について語っている、って感じだね。実際、今のインターネットのなかを通る情報で重要なのは、発電施設の電力制御だったり、水道施設の異常監視データだったりするわけでね。実はインターネットの利用の多くは、こういう社会維持・生命維持に不可欠なトラフィックが多いわけですよ。言論情報なんて一部でしかない。

【ネットで動く「人の密を測るセンサー」を作った】
で、自分ではこういうのを作ったのだが、ネット上でデータのやり取りをしている。

【インフラ屋にとっては、水はなんでもいい】
まぁ、ありがちなことだけど、インフラストラクチャー開発の現場では、どんな種類の水が通るかわからないけど、確実に水を利用者に届ける、って言う使命を全うするのに、みんなが一生をかけた苦労をしてるんだよ。いっぱいね。他のことなんか考えられないくらいにね。

【「あって当たり前」が理想】
そう言う人がたくさんいるのを、利用者は「当たり前のこと」としていてくれるのは、インフラを作った人間には喜ばしいことではあってね。インフラ屋は一生をかけてやるものなんだが、何気なく当たり前に使ってくれる、ってのが一番いいんだよな。作ったぼくらの存在は忘れてくれた方がいい。なんだか当たり前にそこにあるけど、当たり前に使っている。それが理想のインフラだからだね。

【言論屋とインフラ屋】
ぼくはインフラ屋で食っている身なので、そう言う感性なんだよな。でもさ、言論を仕事にしている人はそれがわかってないか、過小評価してるみたいだね、と思うよ。でもさ、それが理想なんだよな。ぼくらインフラ屋にとってはね。「言論?まぁ、頑張ってくれたまえ」みたいな感じだね。

【自分の場合だけどさ】
ぼくはたまたま、大学が工学部で通信工学科。大学4年の時にバリバリの文系である教育系出版社のアルバイトをした。さんざん「文章書き」を、鍛えられた。文系と理系という分け方は日本くらいしかないんだが、その両方を若いときに経験した。今から考えたら、極めて希な経験をした感じだね。だから「インターネット」を巡る違う解釈や定義のどちらも、普通にわかる。どちらかの立場で、もう一方の立場の話を片手間にやっている、という感じじゃないんだよな。

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