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「経済安全保障」への対処が必要になった

【「デジタル庁」始動】
2021年9月、日本国政府は「デジタル庁」を設置した。この省庁の設立目的はこう書かれている。「デジタル庁は、この国の人々の幸福を何よりも優先し、国や地方公共団体、民間事業者などの関係者と連携して社会全体のデジタル化を推進する取組を牽引していきます。」(デジタル庁ホームページ)とのこと。少々短く言い直すと「日本人の幸福のために日本社会全体をデジタル化します」ということになる。

【「経済安全保障」も】
一方で、最近は「経済安全保障」の掛け声も日本政府内で大きくなってきた。2022年2月1日に「経済安全保障法制に関する有識者会議(内閣官房)」から提言された「経済安全保障法制に関する 提言」という文書がある。この文書を起点として、政府機関、経団連なども含めた民間の関連団体などがこの提言に沿った「デジタル時代の安全保障」について、多くの発言や発表があった。正式なところではこのあたりがこのnoteを書いている時点での現状だが、その趣旨は、簡単・かつ勝手に要約すると「日本の産業もグローバル化してるけど、国として守るべきものは積極的に守らないとダメですよ」ということだ。

【「国として守るべきもの」とは】
経済安全保障というキーワードにおいては、国として守るべきもののうち、重要なものは以下の2つだと(上記文書では)認識されている。

1.特許などの自国に属すると考えられる知財
→大切な研究成果などを横取りされ、本来の権利がある国・地域ではないところ(自国以外)で権利を主張され、その成果を横取りされるリスクがある

2.他国依存の資材等
→他国・他地域と紛争になった場合、他国から供給されている、自国にとって重要な資材が供給を止められ、紛争の自国に有利な解決の防げになる

ということになる。

【止められない「研究のグローバル化」の現状】
実際のところ、日本でなくとも、知財は国境を超えて存在する、というのは事実だ。例えば、日本人のノーベル賞受賞で湧いた「IPS細胞の開発(京都大学の山中伸弥教授:2012年)」について、日本では山中教授だけがクローズアップされて報道されているが、実際その時ノーベル賞を受賞したのは、山中教授だけではない。むしろ、他国の研究者との共同作業の一部として、山中教授がいた、ということだ。現在の一般的な「研究活動」は、殆どの分野で国境を超えてデータの交換や知恵・知識の交換が頻繁にされてやっと成果が上がるものなので、グローバル化は必須と言える。グローバル化がなければ、研究成果がない、研究成果に至るまでの時間と費用が膨大にかかって、現実的にはできない、というくらいグローバル化は必須なのだ。逆に言えば一国・一地域だけで完結する研究や開発は全く無い、と言って良い。

【巨人の肩に乗る】
研究者の間ではよく「巨人の肩に乗る」という表現が使われる。自分でやった、という研究でも、多くの先人の研究や開発したものを元にやってるわけでしょ、という意味だ。実際、人間の歴史が重ねてきた歳月は十分に長いから「研究の端から端まで全く過去に例がない・過去の業績を使っていない」ものはまずない。運送業をするにもクルマが必要で、クルマに至る原料の「鉄」は別のところで掘り出したものでしょ、製鉄はどこで。。。というようなものだ。みんなのおかげで今の自分がある、と言う、私達の普段の生活においても、当たり前の話ではあるのだが。

【止められない「国際サプライチェーン」】
私たちの生活を普段から支える「サプライチェーン」も「国際化」されて久しい。「衣食住」という「人が生きる基本」のどれでも国際サプライチェーンが全てを影に陽に使っている。表向き見えなくても、裏に回ると「これがなければ成り立たない」ものが実はたくさんあり、その多くは国際サプライチェーンが支えているものが多い。

「衣」ではユニクロなどの衣料品メーカー(ブランド)が海外に工場を持つのは多くの人に知られている通りで、これは他の外国の服飾メーカーでもおなじだ。日本で繊維そのものから作るのは、コストがかかりすぎて現在の値段では供給できなくなる。日本国内で作れるものでも、原材料が日本では無いものもある。

「食」は、はまぐりの偽装事件などでも知られたように、私たちの口に入るもののほとんどすべてと言って良いものがグローバルなサプライチェーンの中でできたものだ。「地産地消」の掛け声はあるので、いくぶんは地元調達のものも増えたには増えたのだが、まだ非常に少ないからこそ、話題になる。イクラ(日本国内で食べるもののほとんどがロシア産)なんとかならんのかなぁ。イクラの軍艦、好きなんだけど。

「住」についても、先日ロシア排除の米国を中心とした国際的な流れの中で、ロシア産の木材が日本に近い将来入る見込みがなくなり、木造住宅の高騰を招く、ということが危惧されている、というニュースがあったばかりだ。いまさら、日本で木材を作るために植林から、というわけにはいかない。植林のための技術者などの教育も含めたコストが高すぎるなどもあって、現実的ではない。

【「文明」の全ての根底にある「エネルギー」】
ご存知の通り、日本の国民一人ひとりを支えている「エネルギー」は、原子力にせよ、石油にせよ、現在は全てその源を他国からの輸入に頼っている。太陽光発電パネルも純粋な日本国産はほとんどない。それをこれから「国産」にするには、開発にしろ、量産にしろ、膨大なコストがかかって、現実的ではない。

【事情が変わってきたものもある】
とは言うものの、最近は日本経済の落ち込みが言われており、都市部で見るとドル換算での平均給与は東京は台北やソウルの後塵を拝している。そのため、人件費が日本の方が安いというところも出てきており、製造業では「日本で作った方が安い」ものも出てきた。内容からして、正直なところは喜ばしい話ではない。日本経済の衰退が感じられる話だからだ。ただし、製造業の技術の多くは日本から外国に流出した後であり、これを取り戻すのは容易ではないので、日本には簡単に製造業の拠点は戻らないのが現実だ。

【「国産スマートフォン」がなくなった】
私の今いる「IT分野」でも、グローバルなサプライチェーンは当たり前のことになっているのは、多くの方がご存知の通りだ。今や「国産」というのは「日本国ブランド」であって「日本製品」ではない。中身は部品毎に様々な地球上の地域で作られていることが普通だし、組み立ても様々な地域で行われている。これは日本だけではなく、他の国でも同じことが既に「普通のことになっている」と言って良い。Appleの製品は米国産のものはほとんどないことをはよく知られている。韓国・サムソン電子のスマートフォンでも、裏返せば「MADE IN CHINA」と書いてある。日本のメーカーの体温計にも「MADE IN CHINA」と書いてある。この流れを止めると、現在は普通に目の前にあるものが消えてなくなったり、突然のバカ高値になる。結果として、私達の生活が成り立たなくなる。私達の生活全てが「必須のグローバルなサプライチェーン」の中にある。それが現代という時代だ。

【「対立」が全ての人の幸福を壊す時代】
このように、グローバルな人間の営みのほとんどが私達の普段の生活の細かいところまでを支えている現状では、望むと望まざるとに関わらず、国境の存在は希薄にならざるを得ない。この時代には、良い、悪い、正しい、間違っている、ということではなく「対立」そのものが問題とされる時代である、と私は思う。正しいことは正しいのだから、なんとしてでも悪いものは消えて然るべきだ、ということではなく「対立」を産んだら、「対立」それ自身が「悪」なのだ。あるいは「(敵対勢力の挑発なども含めた)対立を生む全ての行動」が「悪」と言われる。従ってこの時代には全ての人が「戦争反対」を唱える。そういう時代なのじゃないか、と思うのだが。

【経済安全保障を全うするには】
こんな時代に、経済安全保障をしっかりと行うには、それがどんなものであれ「対立」を産まない、ということに尽きる。そこに、おそらく経済安全保障の完璧な答えがあるのではないだろうか?それが望むべくないものであるとしても、そこを目指さないと、世界が生きていけない社会になってきている、と、私は思う。この世界において、イデオロギーは既に関係ない。「対立そのもの」こそが「悪」になったのだ。

【世界に先行し誇れる「日本人」】
日本は、人が住める狭い場所に、古くから多くの人同士がいかに対立を産まずに生きていくか、という知恵を培ってきた土地でもある。よく「ムラ社会」と揶揄されることが多かった。日本の教育では「協調性は大事」と子供の頃から言われるくらいだが、世界が「グローバル化」で「ムラ化」しないと生きていけない現状では、この日本人の「知恵」が生きてくるのではないだろうか?とも思うのだ。よく「成長する経営の原理」として、近江商人の経営原理と言われる「三方良し」というのも、同じことを言うものなのだろうと思う。

【理想の帽子を被り現実の靴を履いて歩む】
そうは言っても、簡単には現代の人間社会から「対立」はなくならないことも、現状は自明だ。対立を前提とするのではなく、対立そのものを無くす、という理想の方向を目指した上、対立がまだある現在をどう生きるかを現実的に考える、ということになる。「理想の帽子を被って、現実の靴を履いて歩む」。「経済安全保障」は、その上に成り立つ「原理」なのだ、と思う。

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