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noteを続けている事について

noteを始めて31週とのことです。3月に書き始めて7ヶ月が経ちました。

これまで自分の考えや思いをこんな形で書くなんてことを考えたことが無かったので、続いていることは自分にとって大いに意味と価値のあることだと思っている。

正確には書いていない。キー入力や写真アップロードだけど、ここは書くと表現したい。

今のところは書いているだけで、誰かに読んで欲しいとか、誰かの役に立つようなとか、そんなことを考えていることはあまりなく、自分が書き残したいと感じたことを書いている。

そんなわけで言い訳だけど、内容に小さな矛盾や食い違いがあるのは仕方がない。

では、どうして書くことを続けられているのか?今回はこの事について少し書いてみたいと思う。

書くことは自分にとってなんだったのか?

続けることはどんな意味を持っているのか?

その辺りがわかれば良いかなと思う。


「書くこと」これは書き始めてすぐの頃に思ったけど、気持ちがいい!自分の考えや思いを見える形にして、自分の声や態度で伝えなくても伝わる(と思っている)のは凄く気持ちがいいことだと気が付いた。

実際には自分の考えや思いが伝わるなんて幻想はすぐに消えるのだが、気持ちいいと言う感覚だけは残っている。所謂、自己満足ってやつ。

でも、それで十分だった。これまで自分の世界を表現する手段を持たなかった人間がどのように受け取られるかわからないけれども、自分の世界を自分以外で表現する手段を得られたのはとても気持ちがいいと感じている。

自分の世界を表現する。これは音楽や美術などにかかわるアーティストにこそ許された言葉だと感じていた。だが今は誰もが自分を表現できる時代であり、誰もが様々な分野のアーティストになれる世界なのだと、改めて思う。

自分の世界を表現することは気持ちがいい。これは書くことで得られた価値の一つだと思っている。


「続ける」これは自分にとって特別なことではない。ただ続ければいいのだから。ただし、本当の意味で書くことを続けているか?と問われれば、残念ですがNoを答えることになる。

私にとっての「続ける」とは、何かをやり抜くために必要な要素であり、続けることは成長することと同義だからである。ただ漠然と続けているのは惰性と言わざるを得ない。その点でnoteを続けている今の自分は惰性だと思う。

成長するためには、評価・反省・見直し・修正・更新を行いより良くなるための取り組み(練習、訓練などなど)が求めれられると考えている。

今の自分は惰性で続けていると書いたが、先にある目的をしっかりと思い出し、目的に向けて成長することを恐れず進む事ができれば、惰性ではなく意味のある続ける事として書くことが出来るのではないかと思う様になった。

これからもnoteを続けることで自分の世界を表現して、出来るならそれが読んでくれた人に伝わるような文章となるように書くことを続けたい。
徐々にでも成長できるように続けたい。

自分も、読んでくれた人も、成長できる様なものを残せるように。

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