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伴走の違和感

コーチはクライアントの伴走者という表現がある。
否定することは無いが少し違和感があるのでどうしてか考えてみる。

伴走とは「マラソンなどで、競技者のそばについて走ること」と非常にシンプルな意味が大辞林に書かれている。
実際にブラインドマラソンの世界において、伴走者は障がい者ランナーと一緒に走り、視覚障がい者の目となり、方向を伝えたり障がい物を避けたりする役割がある。とても重要で大変な役割であり、やりがいや楽しさもあると理解している。
自分で未だに伴走したことは無いが、友人に誘われたりしているのでコロナ禍が落ち着いたらぜひやってみたいと思っている。

そんな伴走と言う言葉がコーチの関わり方として表現されることに違和感を感じているのはどうしてなのか?

サブ3ランナーの伴走はできません

ランナーの私はサブ3ランナーの伴走はできない。能力的にお互いが高め合って走ることが出来ると言っても無理なものは無理である。自己ベストがいまだにサブ4に到達してないのだから。だが、コーチの私は違う。たとえサブ3ランナーであってもコーチングは可能だ。1流のアスリートであってもコーチングを行うことはできる。ファウンデーションとコーチングマインドが整っていれば。

そう考えた時、伴走と言う言葉ではクライアントが何かチャレンジして、より高く、より早く行動しようとしていることに対してコーチが枷になる事は無いだろうかと思い始めた。

そんな考えを意識するようになったのは伴走する機会がありそうで、実際に伴走について調べたりしたからだ。それまでは自分でもコーチングとは伴走する事なんて説明をしていた時期もある。そう言えば近頃はクラスでテキストを説明するとき以外にそんな説明してないな。。。

ビレイヤーと言う役割

最近、セキュアベース・リーダーシップについて勉強している。

リーダーシップについて書かれているが、コーチのあり方でもあると感じていおりとても勉強になる。その中でセキュアベース・リーダーシップをビレイに例えている。

皆さんはロッククライミングなど経験したことはあるだろうか?私はコロナ禍前には子どもとボルダリングやロープクライミングを楽しんでいた(と言っても素人で体が重い、主に子どもが楽しんでいた)。
ビレイとはロープクライミングをするクライマーの安全確保のこと。また、その安全確保をする人のことをビレイヤーと呼ぶ。

コーチはまさにこのビレイヤーがぴったりなのではないかと考えている。

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私は高所恐怖症だ。高いところの中でも橋の端や展望台の手すり付近など自分の意志で落ちることができる場所が怖い。自分の身体ほど信用ならないものは無いから。平均台とか乗ったはいいが動けない。吊り橋なんて本当に勘弁してほしい。ただし飛行機や高層ビルは平気です。自分でがんばってもなかなか落ちる事はできないから。

そんな私がロープクライミングで5mとか10mの壁を登るのである。ほんと怖いのだ。だが、同時にビレイ(安全確保)されているから、もう少し行ってみようとか、ここでちょっと休んでみようとか、自分一人ではない感覚が嬉しくもあり見守られている安心感もあり気が付けば目標にたどり着くのだ。まぁ怖いけど、眺めは良い。

コーチはクライアントのビレイヤー

コーチはクライアントにとって安心安全な場を提供し行動を促す。それもチャレンジするような行動を。

これを可能にするのはクライアントをしっかりと支え、クライアントを含めた全体に視野を広げ、クライアントが進む道を感じながら集中し、クライアントに焦点をあてるからだと考えている。

これはビレイヤーがクライマーを支援するときと同じではないだろうか。

またクライアントの目標や目的はクライアントのものであり、一緒にゴールすることはできない。どんなに伴走してもである。

ならばしっかりと錨のような役割でロープを持ってビレイヤーの様にクライアントが目標や目的に到達する事を見守るほうがコーチのあり方としてしっくりくるのではないだろうか。

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伴走する表現を否定するつもりではないが、コーチが枷にならないように関わりたいと思う。そんなときにビレイヤーという表現もあるなと思い出してもらえれば幸いです。

近く、リーダーシップ育成セッションおよびセキュアベース・リーダー維持セッションの募集を行います。セキュアベース・リーダーシップに興味を持たれた方はお楽しみに。

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