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学ぶことをやめる時はコーチを辞める時

仕事柄、ありがたいことに一流の選手、指導者の方にお話を伺う機会がありますが、個人的に強く印象に残っているのが3年前に取材させていただいたアスレティックトレーナーの立花龍司さんです。立花さんは近鉄、ロッテ、ニューヨークメッツ、楽天といったプロ球団、また社会人野球や育成年代の指導にも携わってきたこの分野の第一人者であり、現在は「タチリュウコンディショニングジム」の運営をプロデュースしながら、野球の普及活動にもかかわっていらっしゃいます。

取材は指導者向けのお話しがメインだったのですが、その中でコーチの役割について以下のように話されていました。

「日本の指導者はそもそもコーチという意味を知っている人が少ないです。自分が調べた時なので少し古い話ですが、当時の辞書には①スポーツの指導者、②家庭教師、③長距離客車、④馬車と書いてありました。1500年代にコーチという村で馬車が初めて作られたことが語源だそうです。そして1600年代に行為としてのコーチングという言葉が生まれたと言われています。馬車や客車から来ている通り、語源は運ぶということから来ています。一言で言うとコーチとは『大切な人たちを目的地まで安全に確実に送り届けること』ということになります。大切な人たちというのは選手のこと。目的地はその選手の目標、なりたい姿ですよね。その選手を安全にと言っているのに暴力があったら話になりません。確実にということはその選手によってやり方を変える必要があるということです。よく『〇〇理論』みたいなことを言うことがありますが、一つのやり方だけではそれに合わない選手は育たないということになります。だから十人十色、それぞれの人に合ったやり方が必要になります。またやり方は時代によっても変化します。だから学ぶことをやめる時はコーチをやめる時だと思ってください。それくらいコーチとは重たい仕事です」

 当時書いたwebの記事がサイトの移行が上手くされず、この部分が消えていたので原稿から引用しました。特に大切だなと感じたのが最後の「学ぶことをやめる時はコーチをやめる時」という部分です。野球やスポーツの指導にかかわらず、人はどうしても自分の経験をもとにして話をしてしまうことが多いですが、それが万人に当てはまるわけではなく、また未来永劫通用するわけではありません。特にテクノロジーが進化するスピードはどんどん速くなっており、昨日の常識は今日の非常識ということもよくあることです。実際に立花さんもコーチとしての実績を十分に残した後にも、大学院で研究活動を行っていました。そういう方の話はやはり説得力が違いますよね。


また、これからの時代のコーチと選手の関係性についてもこのような話をされていました。

「今の時代は中学生でも情報を持っています。ネットで検索すれば山ほど練習方法は出てきますから。まずコーチはその情報収集に負けたら終わりです。選手が指導者に対して『こんなことも知らないのか』と感じることは実際に起きていますし、それが選手の心がコーチから離れることに繋がります」

このお話の通り、実際現場で取材をしていても、以前と比べて選手が持っている情報の量は格段に多くなっていると感じます。取り入れる、取り入れないの取捨選択は当然必要になってきますが、知識の引き出しが少ない指導者やそういう指導者を揃えられないチームはどんどん見限られてしまう時代になってくるような気がしています。

これはもちろん野球の指導者に限ったことではなく、自分の仕事にも当てはまると思っています。もうここまででいいかと思って学ぶことをやめたらそこで成長は止まり、どんどん時代から取り残されていきます。今までの経験はもちろん大事ですが、常に自分をアップデートして、あらゆることについていけるように取り組んでいく必要があるなと立花さんのお話を聞いて感じました。

ちなみにこの取材の後も立花さんからは事あるごとに連絡をいただき、常に刺激をいただいています。このような一流の方と触れることのできる機会は本当に貴重ですし、今後もこのご縁を大切にしていきたいなと思います。


立花龍司さんのnoteはこちらです。


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