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なりたい自分になるために、何度も何度も書く書く書く。

『毎日note365』79日目。

なんと今週は手帳が真っ白です。
1月にして真っ白。ちょっと危機感を覚えています。

ウキウキと2024年の手帳を準備したはずなのに、2024年開始1ヶ月で早くも挫折の危機。

ちょっと前にも挫折の兆しについて書いたけど、その時と今週は状況が違っていて、今週は単純に時間と活力が枯渇していました。

(字が下手くそで手帳に挫折しそうな話はこちら。)


手帳が真っ白になる頻度が多すぎる…。


1日は24時間もあって、10分〜15分の手帳を開く時間が取れないわけはないのだけど、振り返ると今週は、余白ができると即座に現実逃避をしたくなるくらい、やることが山積みでちょっとしんどかったです。

少し時間ができた時は、現実逃避行動として、ゲームをしたり、動画(主に音楽)を見たり、ぼーっとしたり。どれもこれも、脳みそのスイッチを切りたくてやっていたこと。


こういう時間の過ごし方をして気が付いたんだけど、手帳を開くときって、脳みそのスイッチを切れないんですよね。考えたいし、内省したいから。

手帳を開いて自分の時間を過ごすことは、確かにリラックスできるひとときなんだけど、それはあくまでも身体的・精神的な疲労が「ほどほど」に収まっているときのリラックス手段なんだと思います。考えたり、内省したりする余力があるときに、「手帳と向き合う」というプラスオンの行動が効果を発揮する気がしています。

限界近くまで疲れていると、もう何も考えたくないから、何かをプラスオンしようとしても、なかなか心と体がついていかない。そんな感じです。


だからそもそも、そこまで疲れる生活になっていること自体が良くないんだと思う。

現に、ちょっと回復してきた今日は、夜に手帳を開きたいという気持ちになってる。


そうか、だから手帳をお供にして生活している人は輝いて見えるんだろうな。きっと生活にちゃんと余白を作れていて、つまり自分を大切にすることができているから。そういう暮らしをつくれているから、素敵に見えるんだろうな。

そうやって、余白を大切にして暮らせるようになりたいと思っているから、私は手帳を使いこなす人に憧れるのだと思うし、自分もそうなりたいと感じるんだと思う。

「手帳を使いこなせる人になりたい」というより、「余白をちゃんと生み出して、その余白で自分を大切にできる人」になりたいんだよね。


つらつらと書いてしまったけど、こうして何度も何度も、自分のなりたい姿を書き続けていくと、そのうちそうなれる気がします。

毎日noteを書く効果は、こういうとこにもあるのかも。


ではまた明日。




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