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「共同親権」を難しく感じる理由って…

こちらの署名が立ち上がった頃から、共同親権についてできる限りで追いかけてました。

私は下記3つの理由から署名しています。
①共同親権そのものはともかく、衆議院で可決されてしまったあの内容は良くないと思っている
②これだけ議論を巻き起こしているのに法案を通そうとしている政治に不信感がある
③何よりも政治が弱者の声を聞いているとは思えないので、立ち止まってほしい

そう、私が署名した理由を3つ書いたように、今各所で議論されている【共同親権】には、実にさまざまな要素が含まれていて、議論が議論として成り立っていない場面も多々あるように感じています。

記事のタイトルにも書きましたが、「共同親権って難しい」と感じている方、多いのではないでしょうか。

私は「難しいな」と思っています。


結論から言うと、『”共同親権”という、同じ単語を使って、全然違う話をしている人がたくさんいる』から、難しく感じるのだと思います。

この「同じ単語を使って違う話をしている」というのは、コミュニケーションあるあるです。

たとえば仕事。
上司が部下に「この資料作成、早くしてね」という依頼したとして、上司は「早く=1日以内」を想定し、部下が「早く=3日以内」を想定していたら、話は噛み合わなくなりますよね。

人はそれぞれ当たり前が異なるので、抽象的な単語やフレーズであるほど(がんばる、気をつける、早く、ちゃんと…etc.)、同じ言葉を使いながら違う景色を想像しがちになります。

だから、特に決めごとをする際は、関係者全員で同じ景色を共有できるように、具体的な言葉に落とし込んでいく必要があるし、専門用語を平易な言葉に言い換えたり、図を用いたり、とにかく「認識の齟齬が起こっていないか」を、全員で常に注意しながらコミュニケーションを取らないと、良い決定はできないです。


で、「認識の齟齬が起こっていないかが確認できないまま進んでいる」のが、今の「共同親権」に関する議論なのだと思っています。衆議院で可決されてしまったので、仮決定までいってしまった。

「共同親権」というたった四文字で、あまりにも多くのことが語られすぎていると思います。
それぞれの立場でいろいろな価値観や意見があるのは当たり前です。その前提で議論を前に進め、よりよい決定をするには、自分の常識が相手の非常識であることを、関わる全員が理解して、同じ景色を見ながら議論ができるように、各々がコミュニケーションを工夫していく必要があるのではないでしょうか。


とはいえ、共同親権について調べていく中で、誹謗中傷や脅しと受け取れるような主張も多く見かけました。「人権って言葉、知ってる?」と言いたくなるような主張も、少なからず目にしました。
自分の経験上、「話し合いができない人がいる」ということは痛いほどわかっているので、共同親権について誠実に議論を進めようとしてくださっている政治家の方や弁護士の方、そのほかにも、然るべき立場にいて意見を表明してくださっている方には、本当に感謝していますし、心から応援しています。


私の身の回りでは、共同親権に関する法改正について「知らない」という方が、まだまだ多いです。

国民を置いてけぼりにしないでほしいと思います。


ほかにも書きたいことはたくさんあるのですが、今日はここまで。
こんな小さなアカウントの、誰も見ないかもしれない発信ですが、「声を出さない=賛成しているのと同じ」となってしまうのは嫌なので、細々とでも発信したいと思います。

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