アップデートのための振り返り:その2、肉体の癒しと変容について
アップデートのための振り返り:その1、叡智の本質についての記事で、次のようなことを書いた。
自我を超えた体験として、物質価値の中にどこまでも入っていく。
少なくも、自らの肉体をどう癒し、どう変容させるかという点については、これ以外に方法を思いつかない。
このことを深めてみたい。
筋骨格率の変化
上記の記事は、肉体回復の発端のひとつとなった経緯について。
InBodyである程度精度のある体組成を測ったのち、筋肉をつけたくて、しばらく糖質を増やして、筋肉量の増量にはげんでいた。
けれど、筋トレしても、ストレスやオーバートレーニングで、まったく筋肉に化けてくれない日が続いた。
糖質の内容や摂取量の調整も難しかった。
糖質の制限は簡単だが、ほどほど取るという、そんな都合の良い意志力、わたしにはない。
少し糖質を摂ると、脳がもっとくれ、という。もっとやると、もっともっとくれ、という。脳は化学物質に弱い。
しばらく伸び悩み、5月9日の今日、めでたく筋骨格率が最低限の目標(人並みってこと)の数値に達したので、明日から除脂肪をはじめる。
がらりと食スタイルが変わるので、アップデートのための振り返りを今日はたくさん書いているという次第。
筋肉量の増量とは、簡単に筋トレというけれど、生理学の立場からみると、筋肉を破壊して再生させる治癒行為だ。
除脂肪(シェイプアップ)は、その反対に、物質をエネルギーに変えて「燃焼」させていくプロセスを指す。
増量と減量は、同じボディメイクでも、木星と土星くらい違う。
無意識レベルでの惑星意識と生理学は、以下のように結びついている。
・火星意識:睡眠導入 →感覚世界と結びつく
・木星意識:レム睡眠(脳は動き、体は動かない)→感情や思考と結びつく
・土星意識:ノンレム睡眠(脳は動かず、体は動く)→自我世界と結びつく
日中は消化活動がメインとして、生合成(物質代謝)がさかんに起こるのは木星意識、エネルギー代謝がさかんに起こるのは土星意識、という体感がある。証明はできなさそうだけど。
惑星意識は、おもに睡眠と覚醒として表現されるが、無意識領域でつねに土星も木星も働いている。
もっとわかりやすくいうと、筋トレが脳と筋肉のつながりを再構築・強化する知的作業だとすれば、除脂肪はより動物的で、考えるな、動け。という感じか。
人間は自我があり、考えずには動けないので、有酸素運動とともに自我との向き合い方がシェイプアップの鍵になる。
肉体の癒しと変容
Dr.ドルフィンこと松久正さんという医師がいる。
今ではたいそうスピリチュアルなことをされているが、先日チラリと動画を観たら、血圧のせいか息が上がっていらっしゃった。お医者さんなのに、血管大丈夫かいな。
わたしはDr.ドルフィンの霊性も体調も、別に何も否定したいことはなく、彼がだいぶ前のブログで、装置と測定値との関係をとてもわかりやすく書いていたので、むしろ好印象を持っている。
装置と測定値との関係とは、簡単にいうと「時計」と「時計の針」との関係だ。
わたしたちのマインドは、「時計の針」が「時間」の存在を証明しているかのようにとらえるが、時間の針は「時計」という装置に依存している。
わたしたちが日常で使う「時間」とは、時計という装置によって定義され、測定されたものでしかない。
時間の概念は、20世紀と21世紀で、まったく異なる。時間概念の分かれ目は、アインシュタインの相対性理論だ。
もしかしてまだ20世紀のままでいるとしたら、古い世界観に息を吹き込んで、アップデートしよう!
Dr.ドルフィンは、装置と測定値という観測問題を、自己と他者の現実認識の重なりにからめて記述していた。
もう元記事が所在不明なのが残念だが、明晰な思考だったのをよく覚えている。
最近、体が変わったねという言葉をいただくことが多い。
記事を読んだだけの方からは、超スリムになったのかと思われているかもしれないが、筋肉量を増やしたくて増量してたから、ご想像のような痩せ方はしていない。
食べる・出すは、循環の一コマだから、それで増えた・減ったというのは、雨が降って増水したとか、水不足で干ばつとかっていう現象でしかない。
食事のカロリーも、そんなの要らないとか、カロリーの摂りすぎはダメとか、いろんな考え方があるだろう。
食事の本質は、外界の内在化だ。
だから、外界で測定した栄養学的熱量(食物を爆燃させて熱量を計測)が、そのまま体内で通用するはずがない。
カロリー計算は要るか要らないか、そういう議論こそ変だ。
カロリーが指しているのは、時計の針でしかなく、時計の針を必要としているのは、胃袋でも腸でもなく、人間の頭=マインドである。
わたしがカロリーを計算しているのは、体の調整には脳が介在するから、熱量の測定値を使って脳に働きかけたいからだ。変化指標にもなる。
スマホも時計もカロリーも、使うか使われるかは、その人次第。
分子栄養学も勉強してみた。
生体内で起こるできごとを分子レベルでひもといて行くのは、とても楽しい。
漢方薬がそうであるように、分子栄養学も個体差、環境差を考慮して、栄養素の吸収効率や酵素反応を遺伝レベル、生活習慣レベルでみながら、サプリメントを出していく。
酵素の基質はタンパク質で、補酵素はビタミンなので、酵素反応をあげるために、タンパク質とビタミンをとれ、という話になる。
わたしは実際に自分で試して、もう4ヶ月以上さまざまなサプリメントを高濃度に摂取している。
結果、つくづく思うのは、食べ物ではなく、外から直接入れる栄養素は、あくまでも短期的な治療に向いていて、長期的には体を弱めるだろう、ということだ。
見極めは、サプリメントをローディングしてめざす機能回復があったら、いったんアンローディング(断薬)して、自らの体がその機能を取り戻していたら薬をやめること。一定期間見て、機能回復がなくてもやめる。
手術後に点滴を打って、退院してもそのまま点滴を打っている人はいないだろう。同じようなことだ。回復したら自分の力で歩く。
前も書いたけど、以下の手順はとても大切だ。
まず、救急の処置が必要かどうか。外部サポートが必要かどうか。
今、安全かどうか。安静が必要かどうか。
次に、ご自身で療法とケアをする段階であれば、「食べて・動いて・休む」を、どの条件下で行えば自然治癒が進むのか。
療法を探したりトラウマを解放したりするのは、その後のこと。
わたしたちはつい、一足飛びに「どうしたら治るか」を考えて、あちこち手段を探そうとしてしまいがちだ。
でもそれは、結果を無理やり変えようとしているにすぎない。
どんな療法がいいか悪いか、どんなサプリがいいか悪いか、ではなく。
栄養素であれば、自分の体の吸収効率と酵素反応が、どのような内界プロセスを経て体に表現されているのかを知ることが先だ。
内界プロセスとは、心身の反応パターン、脳が採用している信念体系、プログラム、感情などだ。ボディートークでは信念システム、脳科学では内部表現と呼ぶ。
除脂肪は、内界プロセスのうち「わたしは誰か」という認識にかかわるアイデンティに働きかけるものだ。
わたしは弱い、と思い込んでいれば、脂肪をつけて守らなければいけないというパターンを形成するかもしれない。逆にやせ細ることで、関心をかった方がいいというパターンを身につけるかもしれない。どちらも無意識の学習だ。
心身のどこかに傷を負っていても、そこを固めて耐えようとするから、脂肪はつきやすい。とくに足首と股関節を固めると、全身のサポートが制限されてしまう。
何をどう食べるかは、大切だが本題ではない。それは変化していく。
肉体の癒しと変容において、わたしが今年、自分史上で革命的に獲得したのは、立ち方の変化だ。
足のアウトサイドに加重して、太ももを固めて立つ癖(これガニ股になるよ!)が外れ、腹圧をかけて内転筋を活性化することで、膝が伸びるようになった。
足首の使い方を変えて、股関節の可動域を増やした。
この下からの力の流れが、まだ胸椎の途中で途切れがちで、頚椎まで伝わりきっていない。おそらくそれは心肺機能からきているから、心肺機能に働きかけることになる。
構造的、客観的なアライメントは自分では見えにくいので、月に二、三回は、プロにも見てもらっている。
筋トレに関しては自分でいろいろやって見たいから、まずは自己研究。
「わたしは誰か」というラベルは、わたしの内部には何一つ書かれていない。
環境に目を向け、体に目を向け、他者とのやりとりに目を向け、環境応答を、体の反応を、コミュニケーションのあり方を観察したとき、初めてわたしは、自分にどんなラベルを貼っているのかに気づく。
体重の浮き沈みも、見た目の変化も、それらは物質価値を示す。
その価値自体は、誰がどんな判断基準を持っているかを表すものでしかない。その物質価値に、自我ではなく、他者自我を持って入り込んでいく。
無意識領域には、直接入ることはできない。直接入ろうとすると、願望とは逆の働きが生じる。
だからこそ、自我を手放す必要がある。
そうやって獲得したものが、立ち方の確かな変化の手応えだった。
これは嬉しい。
わたしが獲得した立ち方は、川の増水や減水とは異なる。
「わたしが立つ」という行為と姿勢は、魂に刻まれる。
魂の成長として、価値づけられるものになる。
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