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わかっている、気づいている、できているの違い:股関節の痛み

ランジという、下肢の関節をたくさん使ってトレーニングできるメニューがある。サイドランジ、ジャンピングランジ、クロスランジなど、いろんなバリエーションがある。

下肢を固める動きを脱学習し、上肢をより自由にさせたい。
使えていない筋肉を鍛えること、その上でさらに代謝を改善し、余分な脂肪をシェイプしていくことが当面の目標。

自己運用だけでなく再現性もねらっているので、理論も学ぶ。

有酸素の中でのランジは好きなのだけど、ウエイトトレーニングとしてのランジはキツい。とくに低い姿勢のままのランジ。最初はまるでできない。

股関節が痛い。

怖がってしゃがめない。

「そうだ、そういえば、股関節が痛かったのだ」ということに、あらためて気づく。


オイリュトミーシューレ天使館に入った頃、基本のプリエ、アラベスクがあり、床バレエがあり。

股関節が痛いので、どうにかしようといろんな人のところへ通って手技を受けた。

このころのわたしは、痛いのはわかっているけれど、気づいていない人だったと思う。関節に抱え込んだトラウマも大きい。

気づいているのと何が違うんだ、というのをうまく説明できないが、気づくと、ああ、今までは頭でわかってただけだ、というのがスーッと入ってくる。認識が変わる。

できているかどうかの評価は、気づいていないと受け取れない。

外部からあれこれ姿勢評価されても、分かっているだけでは挫折の上塗りだ。

あらためて痛みに気づいたので、今日は休ませて、先ほど少しだけ、ランジをやった。まずは小さな動きから。

股関節の痛みは、股関節の可動域や柔軟性に関わることだと思い込みがちだけれど、実際には、もう少し上、脊椎を丸める・反らすの動きをどれだけクリアに感じられるかにアプローチするのが得策だと思う。

股関節は足を動かす前に、上肢と下肢をつなげる役目を持っていて、だから肩関節に比べはるかに深く、骨盤の中に関節窩がある。

できる・できないは、どの評価システムを意識しているかの問題であり、体としてはただ多様な動きがそこにあるだけだ。

 あなたと地面、あなたと環境との関係性は、常に姿勢の中で進化し続けています。体の中心軸は単なる抽象概念ではありません。
そこには世界に対する知覚的、感情的な体験がダイナミックに反映されています。
「舞い上がる」、「落ち込む」など気分を表す言葉には、自分と重力場の関係性も表現されているのです。一箇所の姿勢ゾーンが重力との関係性に与える影響についておさらいしましょう。

 骨盤底まわりが緊張して股関節が制限されていると、足や背骨は重力の要求に自由に答えることができません。
骨盤が動かなければ、足をしっかり地に着けることはできないし、背骨を自由に伸ばすことも、頭やハートを持ち上げることもできません。
定位能力が制限されるので、安定を得るために別の手段が必要です。足の指を丸めるとか、お腹で息をするとか、顎を固めるとか。そうして生まれた緊張は、関節を圧迫し、筋膜のつながりを制限し、楽に動くための能力を低下させるのです。
メアリー・ボンド『感じる力でからだが変わる』

こういった本を読みながら体に向かい、脳と体の関係を更新していく。

実際に動かしてみて、神経系に光を灯していく。


気づきがあると、「失敗」というものがなくなる。

ただできるまでの、絶え間ないフィードバックか、できた未来からのフィードフォワードしかなくなる。

祈りとは、未来からのフィードフォワードだ。

教えてもらって自分に効果のあったユラユラ・スクワットや、PNF(神経促通法)の対角パターンを、オンライン講座の中でも動きと休みの統合的な運動としてシェアしてみる。

気づきのある、静かで落ち着いた場だけでも足らない。

とにかく使ってみて、動かさないと、エネルギーが内向きになる。

今の痛みは、鍛えてあげればとれる痛みだ。昔とは、だいぶ違う。


やったほうがいいと分かっていてもできないこと、分かっちゃいるけどやめられないこと。

どちらも、分かっていない。というより、気づきがないのだ。

気づきがない人の前では、どんな有益な情報も耳に入っていかない。

情報は入っていくが、処理されることはない。

情報処理は、アクセスされ、取り込まれ、理解され、統合され、保持される一連の流れだ。

その流れを通して、ようやく知識となる。

知識は使われて、はじめて血の通った知恵となる。


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