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「あなたのことを思って・・」はやさしさで否定されていてつらい

10年程前に夫を亡くしました。
それとほぼ同時期に出産。正確に言うと、夫と死別した一か月後に子供が産まれました。

つまり、臨月でした。

その状態で夫を亡くすストレス、それは今思い出そうとしても記憶が遠のくほどに正常な状態ではなかったと断言できます。
おそらく周囲も見ていられなかったでしょう。

お葬式でお腹が大きい私は憐れみの視線を感じました、、その視線も忘れられません。

確かに不幸です。はたから見たら、なんとかわいそうな妊婦でしょう。
本来なら子供がもうすぐ産まれる、希望にあふれる時期なはずなのに。。

でもそれ以上に彼との幸せな日々があったのに、、憐れみの視線を感じながら、ただただ立っていることに精一杯だったのを覚えています。

そんな私に、当時様々な声をかけていただきました。

今思えば、臨月で夫を亡くした私に、かける言葉もないと、何と声をかければいいのかと、、多くの人が躊躇する中、どうにか励ましたいと思いかけてくれた言葉に、善悪を付けることはできないのですが、、それでも、、傷つく言葉と励まされた言葉とがありました。

決して許す許さない、良い言葉悪い言葉、ということではなく、その当時にかけられた言葉で、励まされた言葉と、逆に傷ついた言葉があったのは事実なのです。

これは人それぞれの価値観・感じ方なので、あくまでも私の場合ですし、当時の私の心に余裕がなかったからだとも思います。

ただ当時こう思ったよ、ということを書いておきたいと思いました。

相手が善意でかけてきた言葉で傷つくことは、自分の心が狭いからだと、自分を責めてしまうことがあると思います。
でもそれは状況によっては仕方のないことだよ、って、自分を責めて追い詰めることはしてほしくない。

また声をかける方にとっても少しでも当事者側の気持ちを慮る参考にしていただけたら、、あなたの気持ちはちゃんと受け取っているけども、選んだ言葉によってそんなつもりはなくても伝わり方が違って傷つく人がいるんだよ、ってことを想像してもらえたら、、、

そんな思いでこんな声がけが私の場合嬉しかったしつらかった、というのを書いてみようと思います。


前提として、、当時の私の心理状況ですが、

夫が亡くなった理由は、私にはどうしようもできないところでの出来事でしたが、それでも「あのときこうしておけば」「もっとこう伝えていれば」そんな風に思ってばかりでした。

目の前で起きていることに対して穿った見方をしていたこともあるでしょうし、卑屈になっていることもあったでしょう。

全力で自分を否定し、自分のすべての動きや考えが間違っていると思っていました。だからこんな不幸が自分の身の上に起こったのだと。。バチがあたったんだと、、

そんな中で・・・


<つらかった言葉>

「あなたのためを思って言うけど」という枕詞を付けて「こうすべき」「それはおかしい」と指摘をしてくること。

本当に、私のことを思ってのことだと思います。

そんな考えでいてはいけない、という私を思っての言葉です。

「やさしさで否定する」

あくまでやさしさ・思いやりがあっての言葉ですそれは分かっているんですが、、自分を否定されていることがただひたすらつらかったのです。


<嬉しかった言葉>

「あなたは間違っていない」

当時、お腹の子に対しても「申し訳ない」もっと何かできたんじゃないか。そんなことばかり考えていました。

ただでさえ自分を責めているときだったので、この言葉には本当に救われました。

「やさしさで認める」

「あなたは間違っていない」そういってもらえるだけでただそこに居るだけでいいんだよ、って言ってもらえている気がして嬉しかったんです。


重ねてになりますが、良し悪し・善悪ではなく、その時の相手の状態によってかける言葉は違ってくるとおもうのです。

死別して10年近くたてば、当時つらかった言葉も私のためを思っての言葉だと納得もできるし、傷つくこともありません。

でも当時の私には本当につらかった、、


それでも、かける言葉もないような状況で、何かしてあげたい、そんな気持ちだけで言葉を探して伝えようとしてくれたことには感謝しかありません。

でも私は、そしてこれを読んだあなたには、相手の立場や状況によって「やさしさで否定する」のではなく、「やさしさで認める」を優先した声をかけてあげたいと思うのです。

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