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日常があることの幸せ

10年ほど前に死別したシングルマザーです。

死別して思うことは
・日常があることは、決して当たり前ではないこと

・死別したからって毎日泣いて暮らすわけにはいかない

ということです。

朝起きて「おはよう」というパートナーがいること
一緒にご飯を食べるパートナーがいること
帰ってきて「おかえり」「ただいま」を言い合えるパートナーがいること
寝る前に「おやすみ」とお互いの寝息を感じながら寝ること

それがどんなにステキな日常だったのか。

特別な旅行とか
少しお洒落なお店での美味しいお料理とか

それは今思えば本当に些細なことで、「生活」を共にするパートナー、愚痴を言ってケンカもしながら、それでも家族でいることがどんなに意味のある事だったのか。

その重みと有り難さを実感します。

当時幸せだと思っていた
贅沢な旅行やお食事や買い物は些細なことになり、
嫌な思いをしたり、仕事で疲れたりすることも
些細なことに思えるようになりました
(とはいえ振り回される日々ではありますが、、笑)

日常を当たり前に過ごせることが奇跡で、本当に幸せなこと。

そう思えるようになって、何故か人生が豊かに感じることもあります。

当たり前の日常を大切にしたい、そう思います。

だから死別して泣いているばかり、、というよりは、日々過ごせることをありがたく思うばかり、、なのです。

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