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ほんまに今さらなんやけど、SNSで映画を酷評するマナーについて

フィリップ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト曰く、
「他人を褒める時は大きな声で。他人をけなす時はもっと大きな声で」
ビッテンフェルト家の家訓だそうである。
 
去年くらいからネット上の映画のレビューが気になっている。
自分が好きな映画がけなされる、酷評されることが多かったからだ。
そんなん気にせんかったらええやん、と自分でも思う。
 
思うのだけれど、気になることは止められない。
そこでビッテンフェルト氏の家訓をお借りする。
「映画を褒める時は丁寧に。映画をけなす時はもっとめちゃくちゃ丁寧に」
 
これを和田の家訓としたい。
特にネット上に感想をあげる時は本当に丁寧に言葉を使わなければいけない。
ネットで他人の感想を目にする人は、ほとんどが全くの他人。
 
だから言葉だけが一人歩きして余計ないさかいを呼ぶ。
そんなレスバトルをこの1年めっちゃ見てきた。
さらに家訓を推し進める。
 
言ってしまえば映画をけなす、酷評する感想なんてネットにあげなければいいのだ。
いや、感想を言うのは自由だ。
自由だけれども、他人の作品への酷評が世の中をよくするとは思えない。
 
いらないストレスと争いを生むだけ。
だから僕はこれから基本的に映画をけなすことはしない。
もしどうしても批判をしたければそれこそ「もっとめちゃくちゃ丁寧に」言葉を使う。
 
そして自分のホーム(このnoteやSNS)に、自分の責任で書く。
他人のページに書きに行くことはしない。これまでもしたことないけれど。
自分がしたことないのにわざわざ書くには理由がある。
 
こんな辺境の僕のページにすら、コメント欄に酷評を書きにきた人がいたからだ。
僕が好きな映画のここが素晴らしいと丁寧に書いたつもりの記事を、乱暴な一言で否定する。
もちろん言論の自由は大前提。
 
他人に酷評を書くなとは言わないし、僕だって批判をする時はある。
だけれどもそれは自分の責任で自分のページで。
これをSNSのマナーとしたい。
 
僕のページのコメントにはすでに対処済み。
ちょっと対話してご自身で消した方もいらっしゃれば、どうにもならなかったのでこちらからブロックした人もいる。
自分のホームにどんな言葉を残すかは自分が決める。
 
こんな幼稚なことを今さら書くのは恥ずかしいのだけれど。

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