子どものセルフレジ問題でネットは柔らかくなったかもしれないと感じた
今日は「かもしれない」が多い記事です。
先週、ネットから盛り上がった子育て関連の話題は『子どものセルフレジ問題』。
きっかけとなったツイートはこちら。
拡散されていろいろな意見がついている。テレビでも話題になっているそうだ。
極めて文字数が限られた一つのツイートをもとに侃侃諤諤する。
これがSNS社会の面白さでもあり怖さでもある。
侃侃諤諤している総人数は少ないだろうけれども、その多くはもとツイートを見ず拡散された情報を見ている。
このツイートをした本人のことを知らないし、状況や立場も知らない。
僕はこのツイートに対してごもっともだと思う部分もある。
と同時に全ての親子に当てはまるわけでもないと思う。
だけど書きたいことがある。それはネットに書き込まれている意見の質の変化。
5年ほど前の『満員電車にベビーカー問題』と比べて思ったことだ。
『ベビーカー問題』のときは、両極端の意見をよく目にした。
「乗せるな」か「優しくしようよ」のどちらか。
口調もはっきりとしていて、迷いがない。
どちらにせよ極端な意見が支持を集めて拡散していた記憶がある。
そしてその両極端の間では意見交換や議論にならなかった。
『セルフレジ問題』でははっきりとして迷いがない意見が当時よりも少ないと感じる。
「使わせるな」か「優しくしようよ」という意見ももちろんある。
でもそのどちらでもない意見もよく目にするのだ。
「場合によるよね」「子ども専用セルフレジ作れば」「子どもにやらせた方が愚図らなくって早いのかもしれない」
5年前のベビーカー問題のときもそういった他の意見がなかったわけじゃない。
けれども極端な意見が減って多様な意見が増えたことははっきりと感じる。
極端な意見が減ったように見えるのは、極端が意見が支持されたり拡散されたりしにくくなっているからかもしれない。
意見が多様になったからと言って対話や議論になることは少ない。
けれども5年前よりもネット(特にツイッターとyoutubeのコメント欄)は読みやすくなったと感じる。
ネットでの意見表明に慣れてきた人が増えている。いいことだ。
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