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今映画館で観ることができる『天気の子』と『パラサイト』が同じに見えた理由

映画をハシゴした。
コロナ禍でよかったことの一つは見逃していた映画が映画館で再上映や延期上映されたこと。
先々週の『ニューシネマパラダイス』も同様だ。

今回は日本アニメ『天気の子』と韓国映画『パラサイト』を連続で観た。
どちらも格差や貧困、分断した社会が舞台。どちらも「半地下」の住居とその住民が出てくる。
そしてその「半地下」に雨が流れ込んで、世界の形が変わる話だ。

『天気の子』はアニメ映画らしく、ダイナミックに世界全体の形が変わる。
アニメの中で具体的に描かれているのは東京の変化だ。
けれど、そこから敷衍して日本全体、そして全世界に影響しただろうことが想像できる。

『パラサイト』は2つの家庭の形が変わる。
富豪の家庭と貧困の家庭。でもその変化は基本的に閉じられている。
その変化が社会に影響するのかどうかは、天気の子と同様に観客の想像に委ねられている。

『天気の子』も『パラサイト』も変化が起こるに当たって犠牲者が出る。
状況は周りを巻き込みながら変化するんだけれど、最終的にはどちらの映画の犠牲者も一人に絞られていく。
世界が変化するときには「人柱」が必要だというのが新海誠とポン・ジュノ両監督共通の世界観だ。

たとえ「半地下」の水が引き人柱が救われたとしても、水が引いた後の世界は以前とは大きく変化している。
『天気の子』も『パラサイト』も観終わった後に諸手を挙げてハッピーとはならない。でも暗くもならない。
ストーリーは全然違う。けれども同じ現代社会の変化を扱う映画に見えた。


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