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告白

「日本の森のポテンシャルに心が躍る」
「森で仕事をするものとして励みになる」
「森にさらに興味が湧いた」
などなど、春に出版した拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3
に、嬉しい感想を、専門外の一般の方々からもたくさんいただきました。みんなにやる気とモチベーションを与えるような、ポジティブで持続可能だと思うソリューションを、私の四半世紀の知識と経験に基づいて綴りました。これらの感想は、まさに私がこの本の執筆で意図したもので、「的を得たり」の気分です。

一方で、
「嬉しくなるとともに、(日本の現状に)心が暗くなる」
「現状に絶望的になってしまう」
「池田さんの行間から焦りのようなものを感じる」
といった感想もあり、その度にハッとしました。私は問題や課題を直接的に分析したり批判することは書いていないし、そのような話の展開は意図していなかったので。

後者の「重い」感想をくれた方々は、日本の林業業界をよく知る、もしくは深い洞察がある、業界内外の人たちです。

本に書くことを避けましたが、正直に言うと、私の心には、日本の林業に対して焦燥感や絶望感がありましたし、今でもあります。

ドイツに住みながらですが、10年以上、コンサルや通訳として日本の林業に足を突っ込んでいます。多くの人を幸せにするビジョンを掲げ、経験に基づいた正しい理屈で提案していけば変わる、と高揚していたのは、わずか1年余りでした。そう簡単には変わらない構造の断片に出会うごとに、気持ちが萎えてきました。そしてたくさんの断片が集まり、日本林業コングロメリットという巨大な生命複合体の輪郭がはっきり見えたとき、恐怖感と脱力感に見舞われました。毎年の補助金という大きく安定したエネルギー源と、系統的な相互依存関係によって、存続の道を歩む生命複合体です。そこで得られる収入を糧に生活している人たちがいます。その人たちの家族も含めると数百万人の生活、家のローン、子供の教育費、老後の蓄え、などが繋がっています。

日本の林業予算は、15年前の私の知り合いのコンサルによる大雑把な試算ですが、ドイツのBW州の森林と日本の人工林を比較して、森林面積あたりで20倍弱、それを当時の原木生産量で割ると100倍近くになります。

現状のシステムによって日本の豊かな森が負っている「傷」を見る度に、相棒のドイツのフォレスターと一緒に心を痛めてきました。その「傷」とは、生態系に大きなダメージを与え、保水力を低下させ、表土侵食のリスクを内包する皆伐跡や、森の資産価値も森の生命力も弱めるような間伐の事例、助成された作業道の約6割が、数年後に壊れて使用できない状態になっていること、そして水のマネージメントが十分にされていないために、道が土砂崩れや斜面崩壊の起点にもなっていることです。また間伐遅れで生命力と国土保全能力を失ってきている多くの人工林。さらには、ここ数年目立っている山の斜面を切り崩してのメガソーラーの開発も加わります。

「痛い思いをして仕事をするのは、たとえ慰謝料をもらったとして、もう嫌だ」「僕はドイツに長年住んで、ドイツで税金払っているんだし、日本のことには責任ない。自分には関係ない」と、この10年間で、何度となく、日本の林業に関わるのを辞めようと思いました。でも、絶望的に思える状況の中で、数は少ないながらも、信念と愛情を持ってソリューションを実践し、それを繰り返しアピールする仲間、自然に対して日本的な繊細な感性を持った人たちがいて、それら「希望のかけら」にしがみついて、辞めずに続けてきました。

面積あたりドイツの20倍弱の予算は、見方を変えれば、大きなポテンシャルです。「林」を「森」に、「林業」を「森林業」にしていくためのソフトとハードの基盤整備をし、実践をしていくのに十分すぎる予算です。大きなチャンスを内包しています。

本の前書きに書きましたが、私はまず自分のために本を書きました。特にこの10年の自分の心の整理をするために、今後の自分の生きていく道を探るために。一種の自己セラピーにもなりました。焦燥感や絶望感はまだありますが、希望が少し大きくなり、新たなモチベーションも湧いてきました。

本では、ここに書いているような重く暗い論調や、直接的な批評は一切避けました。非生産的だと思うので。でも、私の本の文間に微かに流れるそれらのメロディを感じ取った方々、そして日本の林業に深く真剣な眼差しを向けられている方々のために、ここに、正直に、簡潔に記しました。

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