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公共善エコノミー 印刷へ!

2年がかりで取り組んだ『Gemeinwohl-Ökonomie(公共善エコノミー)』の翻訳プロジェクト、編集・製版も終わり、今日、印刷が開始されました。12月半ばから発売開始です。

とりわけ、一緒に事業に携わってきた中核メンバーの宮崎の鉱脈社の川口敦己社長と小崎美和氏、事業のコーディネーターとして尽力いただいた岩手中小企業家同友会の菊田哲氏と宮崎中小企業家同友会の結城美佳氏に、厚く感謝いたします。

また、私にエネルギーとモチベーションを与えてくれた作者のクリスティアン・フェルバー氏、短い時間でゲラを読み、推薦文を書いていただいた、立命館大学経営学部教授のヨーク・スミヤ・ラウパッハ氏、JPBV: 社団法人「価値を大切にする金融実践者の会 」アドバイザーの新田信行氏、公益社団法人・日本フィランソロピー協会の髙橋陽子氏にも、お礼を申し上げます。

この本に書かれているホリスティックで具体的な新しい経済のコンセプトが、東洋においても地に足のついた運動として広がっていくことを願っています。

以下、予告編として、「まえがき」に書かれている幾つかのセンテンスを紹介します。

「日本語翻訳初版の出版に際し、公共善エコノミーは12歳の誕生日を祝う。2010年の10月にスタートしてから12年、ヨーロッパから南米まで40の振興協会が設立され、3,000以上の企業が公共善エコノミーの運動を支援し、自治体や都市が次々に、公共善エコノミーを段階的に実践する道を歩み始めている」

「経済は、より人間的に、より連帯的に、より持続可能に、より平等に分配されるように、より民主的に、もしくは根本的に公共善に則したものにならなければならない」

「大学での経済学、もしくはより適切な言い方をすると、今日のメインストリーム(主流)である新古典派エコノミクス(経済学)は、数学化し、現実から分断し、金銭的な指数と貨幣価値という、うわべだけの消失点に迷い込んでいる。しかしお金は、公共善に貢献すべき単なる手段である。企業、投資、クレジット、すべての経済も同様に、単なる手段である。経済学は、目標と手段を取り違えるという、曲芸的な芸術作品を創り上げた。そして自らを、非エコノミカルな学問へと「変貌」させた」

「次に挙げるのはアリストテレスの言葉である。彼は、経済の考えと実践について、二つの形態を挙げて明確に区別した。一つ目の形態「オイコノミア」は、すべての人間の良い生活(世帯と国民経済での)を目標にし、お金はその際、単なる手段として捉えられ、用いられる。他方で、お金の獲得と増殖が自己目的になっているもう一つの経済形態を、彼は「クレマティスティケ」と名付け、「反自然」なものだと酷評した」

「経済学は、利回りと利益、GDPに注視し、「効率」を効率的な資本活用もしくは資本増殖と同一視することで、クレマティスティクスに変容してしまった。もはやエコノミクス(経済学)ではない。少なくともアリストテレス的にはそうではない」

「「オイコノミア」は、公共善エコノミーと、立派に翻訳することができる。これはエコノミーという概念の本源的な意味である」

「公共善エコノミーは、新しい経済理論を構築したい。経済の実践を変えたい。そしてさらに、倫理的、包括的で、責任意識のある経済活動と活動家が持続的に認められ、成功するための適切な法的枠組みを作りたい。公共善エコノミーは、ホリスティック(包括的)なオルタナティブ(代価コンセプト)としての、a) しっかりとした理論アプローチで、首尾一貫したモデルである。b) 広範な参加プロセスで、それはすべての改革意思に開かれている。c) 実用的なツール(プロトタイプ)への、成長するオファーである。d) 未来を示す、民主的な実践の提案である」


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