見出し画像

静寂のなかから生まれるもの

ドイツの晩秋。広葉樹の黄色い落葉が街路を埋め尽くし、日照時間が日に日に短くなり、日中も10度を下回る日が続き、どんより曇った空から、小雨がぱらつく寂寥の季節です。物寂しく、静かな時期です。内向的になり、心のなかにも静寂が訪れます。その静寂のなかで、新しいアイデアが閃いたり、創造的な仕事への意欲が湧き起こってきます。

今年やり終えた『Gemeinwohlökonomie (公共善エコノミー)』の翻訳事業も、2年前の11月、ロックダウンの環境も相まって、心に深い静けさが訪れたとき、「この本を翻訳しよう」「翻訳する価値がある」という強い思いが起こり、作者にダイレクトにメールしたことから始まりました。
https://note.com/noriaki_ikeda/n/n9c15f28d5dba

思い返してみると、11月や12月の閃きや衝動がきっかけで始まった事業がいくつかあります。嵐の前の静けさ。この静寂のなかから生まれたものが、春に嵐を引き起しました。

この時期に人間が内向的になるのは、生理学的な理由があります。日も短く、薄暗いどんよりした天気が続くと、視覚による知覚が鈍くなります。人間は、より耳に頼るようになり、耳の感覚が鋭敏になります。目は、外のものを「探索」する外向的な性格を持った感覚器ですが、耳は、外からの刺激を「聞き入れる」内向的な感覚器です。また、耳は目よりも遥かに繊細で、精密で、高性能です。ドイツの哲学者のハイデッカーは、耳を通して考えることの大切さを論じました。聴覚で知覚するほうが、思考のプロセスが、より分化され、より注意深く、より正確に、内向的に進行するということを。

聴覚が鋭敏になることで得られる心の静寂。

前衛の現代音楽家ジョン・ケージは、音楽活動のなかで、静寂を探求し、次の認識に辿り着きました。

「沈黙・静寂は、ざわめきが無い状態じゃなく、私の神経系と血液循環が無故意に機能していることだということが、私に聞こえた。私は、静寂が聴覚的なものじゃないことを発見した。静寂は、意識の変化、転換だ。私は、その静寂に自分の音楽を捧げた。私の音楽は、無故意なものを探求することだった」

私が敬愛するドイツの代表的な作家ヘルマン・ヘッセは、静寂を愛した作家です。次の名言を遺しています。

「あなたのなかに静寂があります。それは、あなたがいつでも引きこもることができて、自分自身であることができる神聖な場所です」

今年は通常だと静かなこの時期に、イレギュラーでサッカーワールドカップが開催されているので、静寂の領域に辿り着くことが阻害されていますが、森を歩きながら、音楽を聴きながら、youtubeヨガをやりながら、1日のうち、数分でも、心の静寂を得られるよう、努力しようと思います。嵐の前の静けさ。来年の春に嵐が起こるように。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?