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試行錯誤のススメ。

1.固有名詞をつけて喧伝するのが嫌い。

 よく、「○○の~~」という本が出ているじゃないですか。あの手の本が大嫌いなんですよ。本に限らず、研修とかもそうですけど。テレビ番組かっていうんですよね。
 
 自分のできた個別的な体験がそのまま書いているわけじゃないですか。大抵は。そこから普遍性とかを見出して書いてたらいいのですけど、この手の本の一番酷いところは、「俺の言う通りにしなさい!」とか平気で書いてるでしょ?その瞬間、僕の心の中では「はい、買わない!」って心がシャットダウンしてしまします。
 
 ビジネス書とか、学習法とかそういう系統の本が好きなので、ついつい書店やコンビニでもムック本とかが並んでいるのを見ると買ってしまうのですが、固有名詞が入った本はそうそう買いません。特に学習法の本は家にないはずです。

 固有名詞の入った学習法の本って、結局、環境とか、学習者と教授者が合っただけで、その場ではあったけど、そこでしか通用しないことって多いじゃないですか。全く読まずに批判するのは嫌なのでパラパラ程度しか読まないですけど、結構自慢話が多いって思うのは僕の偏見でしょうか。

2.恩師の話。

(1)その1

 じゃあ、なぜ、こんな風に考えるようになったのかというと、大学での経験が大きいんです。
 
 それは、ある講義を受けていたのですが、その講義はグループを作って、教えるのではなくて、プリント一枚渡されて、それに沿って討論して肉付けをし、発表していく形をとっていました。

 僕自身はその手の講義は好みなので楽しめたし、それが働きはじめたときには一つの考え方になったので、非常に有益な講義だとは思っていました。
 が、その時の僕は生意気で、「この人、何も教えてないのに、最初と最後だけ話をして楽に講義しているな」って思っていたのですが、それがとっても浅はかな考えだったのが後々に理解することになります。

 その後何年かしてから、その方の講義を久々に受けたときに「あの講義は・・・」と前段で話していた授業のきっかけを話されていました。

 僕の在籍していた大学の前任の大学では普通に講義をされていたそうです。そちらで定年を迎えられてから、僕の在籍していた大学へ異動されてきたのですが、初めて学生たちを見たときに、「幼稚園児の集まりだな」と思ったそうです。私語が多く、講義をできる状況ではなかったようです。

 で、どうされたのかというと、プリント一枚渡して、それをもとにグループ討論させて講義をコントロールすればいいっていう考えに至って、僕が受講していた講義を展開されていたようです。

 僕はうまく踊ってたつもりだったのですが、踊らされてたんですよね。その先生の講義で。その話を聞いたときに、はっきりと踊らされていたことを悟りましたし、この人滅茶苦茶凄いと思ったのもその時でした。そこからずっと尊敬しています。

 もともと、その先生は教育のある分野においては権威で、その方を知らないでその分野を研究している人間はモグリだと言われていた方で、「あの○○先生です」で紹介が通用したって話を後年僕が知ることとなるのですが。

(2)その2

 で、その先生の話がもう一つあって、ある種の論文を書かれる際、「私の」とつけられるようです。

 何故かというと、「個別的なもので普遍化できないのに、それが普遍化できるように書いているのはおかしい」と。「私のやり方であって、それは一つの事例である」って言われていたのを直接聞いたんです。

 ま、調べりゃ誰のことを書いているのかわかるかもしれませんが、あえて個人名は伏せさせてもらいます。

 そんなことを20代の前半に聞いて、そこから固有名詞の書かれている本はほぼほぼ相手しなくなったんですよね。(僕の中で)大先生がそう言う風に書かれているのに、何を言うてるねんってのがあるんですよね。いまだに。

 この方に巡り合えてなかったら本当に底の浅い人間になっていたんだろうなぁって思います。人との出会いってのが一番人を成長させると思っています。
 この方に限らず、大学の時は今の考えに繋がることを示唆してもらえた先生方に出会えたと思っています。人は財産と言いますが、全くもってその通りで、そういう意味では幸せ者であると思っています。

3.自分の勉強法って

 ということで、他人の勉強法なんて参考にはなるけど、丸のままやってはいけないってことなんですよ。そこから自分に合った方法をわかるために一回やってみることは大切なんでしょうけど。

 ほら、世阿弥も言ってたでしょ?「守・破・離」だって。この辺の話はまた別の機会に書こうと思いますが、物事の最初は型どおり学び、自分のものにできたらそれを破って、さらにそこに執着しないで離れなさいと。
 これを室町時代に書に残すって凄いですよね。現代にも通じる概念だなと。

 話が少しそれましたが、とかく、固有名詞のついたメソッドとかって、「とにかくこの方法を守りなさい」ってなんでも書いてますけど、それは洗脳ですからね。たまに言いますけど、「教育は洗脳である」ってことを理解せずに書いている人多いですよね。まあ、10代から思ってましたけど。

 だから、自分の勉強法なんて自分で編み出すほかないんですよ。だから楽しいのであって。やらされているのは楽しくないですから。どのように価値を見出すかってことなんですけどね。

4.だから、試行錯誤は良いことなんだ。

 じゃあ、どうすればいいかというと、試行錯誤しなさいってことなんです。楽するために丸のまま他人のことを受け入れてやるのではなくて、他人のしたことを参考にしつつ、自分にはこのやり方があっているっていうのをいかに見つけ出すかってことなんですよね。

 ビジネスメソッドとかもそうです。一つのやり方が万能なんてありえません。今は考え方を理解する時代です。大いに考えていかないと駄目なんですよ。前提条件なんて3年もあればすぐに変わりますから。

 だから、試行錯誤してくださいってことなんです。効率を追い求めることも大切ですけど、自分で考えたことはどこかで繋がります。試行錯誤しないのは脳を使ってないと同義だと思いますので、試行錯誤するときはたくさんしたらいいのかなって思っています。

 なんで、他人の考えたことを丸のまま使わないでくださいね。

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