ふとあの時のことを思い出す。
1.この書き手、いろんなことに興味だけはいっちょ前にある。
昔ほどではないですが、テレビっ子(死語)ですので、気になるテレビ番組は大好きです。最近は必ず見る番組は少なくなったものの、TVerがだいぶとカバーしてくれるようになったので、助かっています。
ただ、生放送対応でバージョンアップしてから、反応が悪くなって困ってます。何とかしてくれ~って思っています。
で、今でもそこそこの番組を見ているのですが、毎週確実にみている番組にテレビ朝日制作の「アンタウォッチマン」(月曜・東京ではpm11:45~)があるのですが、この番組がお笑い好きをくすぐるラインナップで攻めてくるんですよね。「フォークダンスde鳴子坂」を2022年に特集する番組ですよ。昔からのお笑い好きにはなかなか凄いところ持ってくるなと思います。
一つ問題を提起するなら、「伝説の~」というように、若干尊大というか大上段から降るような演出はなぁ?ってたまに思います。そこまで伝説ではないかと思うのですけどね。僕は好きですよ。
で、まあ、教育や歴史やって話をしてきた男がお笑いと思うのですが、お笑いが好きなんですよ。大好きなんですよ。気が付いたら。歴史やら他のものもありますが、お笑いウォッチャーなのもアイデンティティの一つなのです。
話は逸れたので元に戻して、「アンタウォッチマン」ですが、5月30日放送回が昔の記憶を強烈に思い起こさせたので、今日はその話でもさせてもらいます。
あ、興味ある方はリンク張らせ貰いますので、こちらを見てから、2.以降を読んで持った方が分かるかなって思います。
あと、完全にこれは主観丸出しの文章になりますので、好みや誤認(調べてできるだけ書こうとしていますが)があるので、それを了承できる方のみ進んで貰えればと。
2.ベイブルースと千原兄弟と、そのころの私と。
昨日の特集はベイブルースっていう芸人についてでした。関西のお笑い好きの4,50代は知っている方は多いとは思うのですが、一般的には、有名かといえば知ってる人は知ってるけどって感じですね。「伝説の」には違和感がある。僕の中では伝説ですけど。
そのベイブルースという芸人がいかに凄かったかを、現在一線で活躍されている芸人さんのインタビューや昔の映像などで紹介されていたのですが、これが興味深くて。
僕って、芸談とか対談とか大好きなんですよね。しかも、自分が大好きだった芸人の話だったので。
で、千原ジュニアが当時のことをこれでもかと赤裸々に語っていたのが印象的でした。吉本興業の若手の劇場として当時あった、心斎橋筋2丁目劇場ですが、この劇場で最も出世したのがダウンタウンです。ま、ダウンタウンのために作った劇場といっても過言ではないんですけど。
その後、ダウンタウンが東京進出で卒業してから数年後にまた2丁目劇場のブームが生まれるのですが、それを牽引したのが、ベイブルースと千原兄弟なんですよね。
詳しくは番組を見てもらったらわかるのですが、まあ、この2組はバチバチやり合っているのがテレビからもわかるぐらいで。でも、この2組がいたからまた2丁目のブームが生まれたのだと思っています。
僕はその当時、千原兄弟が苦手で、のちの番組ですが、大阪のABCで放送していた「すんげーBest10」って番組で千原兄弟がフリートーク「バカトーク」というコーナーがあったのですが、そこは早送りするぐらいで。
まあ、ベイブルースが出る番組はよく見てました。ネタも見てましたし。劇場に行くまではしてませんでしたが、大阪のMBSラジオでやっていた「ヤングタウン」(当時の番組名は「ヤンタン あそびのWA!!」でしたが)も毎週聞いているぐらいで。それが楽しみだったといっても過言ではないときがありました。
今回の番組で、久しぶりにベイブルースの漫才の一部がテレビで流れていましたが、結成10か月には到底見えない漫才でした。本当にえげつないなぁと。
3.あの日のこと。
テレビでは軽くしか触れられてませんしたが、あの日のことはいまだに覚えていて、これ書こうとすると今でも思い出して涙が出るぐらい悲しいことなんです。
その2週間前、ヤンタン内でベイブルースのボケの河本栄得さんが入院しましたって、ラジオから流れてきて、心配していたのです。
で、2週間後のあの日、1994年10月31日なんですが、何時もならラジオ始まる時間なんて忘れないのに、その日はなぜ忘れていたのかいまだに思い出すことができないのですが、忘れていて、「あ、ラジオ聞かないと!」ってチューニング合わせたのは覚えています。
その当時、ヤンタン内でCDを出す話があって、「夫婦きどり」って曲を作って、もうすぐリリースってことで番組内で盛り上がっていたので、よくかかっていたのですが、ラジオから伝わる、今でもどう説明していいのか分からないもので、当時の僕が気付きました。「あ、栄得死んだんや」
それに気づいた瞬間からウォンウオン泣いたのは覚えています。一番ショックだったのもありましたし。当時、中学生ですから。僕。
あのラジオから伝わる空気感って忘れられないですね。今でも。
4.今回の番組を見て一番印象に残ったこと。
当時、ナインティナインが東京で「ぐるぐるナインティナイン」が始まったりして、スターになっていこうとする時期でしたが、そのあとはベイブルースって疑ってなかったです。当時の僕は。
そんなことを思い出しながら、今回の番組を見て一番印象に残っていたのが、千原ジュニアが「この局では「アメトーーク」やっているけど、今もやっていたら、「トーークブルース」だったかも」って言ったことが妙にリアリティを感じました。聞いたときに「そうかも」って思いました。
そんな思春期の悲しくて、楽しい思い出を思い出させてくれた番組に感謝。
あ、ちなみに、ベイブルースの高校の同級生が、今年度まで阪神タイガースの指揮を執っている矢野さんだったりする。
サポートされたものはこれからの活動費として充てさせて貰います。 書籍購入や研修参加費用、取材費などに充てたいです。