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♪ 雑記 ~8ミリフィルムの上映会~

オチのない雑記 _ 2023.1.19


父がまだ生きていた頃の話。
お正月に帰省すると、必ず「8ミリフィルムの上映会」が開催された。

お正月のご馳走をたらふく食べて まったりし始めた午後、父がおもむろに映写機の入った大きな箱を押し入れの奥から引っぱり出してくる。部屋を真っ暗にして白い壁にぼんやりと映し出す。音声のない映像に合わせて、カタカタという音が響き渡る。

わたしたち三兄弟(姉・わたし・弟)が小さかった頃の映像だ。

家の前の坂に古くなった絨毯を敷いて、近所のお姉ちゃんたちと一緒にピクニックをしている様子。

姉が小1のとき、運動会を見に行ったわたしを飽きさせないように、校庭で一緒になって遊ぶ父の様子。

市民プールにみんなで行って、20代後半の可愛らしい母が「撮らないで」というジェスチャーで照れ笑いをしている様子。

8歳年下の弟がよちよち歩きの頃、わたしが弟と一緒に映りたくて追いかけまわしている様子。

上映会は毎年開催されていたので、映像の中でわたしがどんなしぐさをしていたか、次にくるのが何のときの映像かを当てることができるくらい覚えてしまっていた。

父が亡くなる数年前、「8ミリフィルムの映像、DVDにしてもらったんだ。見るのが簡単になったよ」と言って喜んでいた。テレビに映し出される映像は、もちろん綺麗なわけでもなく今までどおりなわけだが、あのカタカタとした音と、真っ暗な中で壁にぼんやりと映し出される古い映像でないと、雰囲気が出ないなぁとこっそり思っていた。

父が亡くなってから、お正月の上映会はすっかり忘れ去られ、あのDVDは再生されることがないまま、今もどこかに眠っている。


わたしは、なんで父はこうも毎年 上映会をするのだろう…と思っていた。

あの映像、見ていておもしろいのかな。
ただ懐かしんでるのかな。
「きみたちのお母さんも、こんな小さな頃があったんだよ」と娘や息子に伝えたいのかな、と。

でも、今少しだけ、その気持ちがわかる気がする。


12月17日、息子が二十歳になった。

プレゼントは、息子が小さい頃から撮りためた20年間分の写真を少しずつチョイスして作った、40ページの手作りアルバム。

4つ違いの娘と息子、いつも楽しそうだった
ワールドカップが日本で開催された年

アルバムに載せる写真を選んでいて、心底思う。
息子も娘も、なんて可愛いんだ、と。

どの親でも思うであろう「うちの子がイチバン」
まさにそれ。

息子が反抗期のときは喧嘩が絶えなくて、わたしが何か言うと絶対に反対のことをするような、そんな息子が許せなくて、息子もいちいちうるさく言うわたしのことが嫌いだったと思う。それでも、わたしがついていなければと勝手に思い込み、必死だった。つらくて、関係をどう修復したらいいかもわからず、悪化するばかりだった。きっといい母親ではなかったと思う。

それでも、今思えば、いつも子どもたちは可愛くてしかたがなかった。

わたしは母親になれて、幸せだった。心底そう思う。


アルバムの最後の写真は、娘と息子が背中合わせに立ってポーズを決めている写真だった。

最後のページ

キャプションにこんなことを恥ずかしげもなく堂々と書いてしまうくらい、わたしは息子のことが今でも大好きだし、離婚した今こそ、息子にちゃんと伝えないといけないと思っている。

そうだ、きっと父もこんな気持ちだった。

大きくなって巣立ったわたしたち三兄弟に、「きみたちはこんなに可愛かったんだよ。愛しい存在だったんだよ」と、父は伝えてくれていたのかなと、今は思う。


1月19日、今日は父の誕生日だ。

生きていれば80歳。
「生きていれば」なんて言ってみたところで、生きてないんだから意味はないんだろうけれど。

誕生日、おめでとう。
長生きできるように、がんばるよ。


去年の1月19日に書いた記事





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