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#6 あのときと同じ言葉で

~ 1月19日 ~



まず、昨日描いたイラストが、これだ。

おえかき練習 (179) 2022. 1. 18 (水)


このイラストを描いたことを今朝ふと思い出して、息子に「4月に成人になるってよ」という話をした。

「具体的に何ができるようになるの?」という息子の疑問に、ざっくりと「親の同意なく、自分でいろんな契約ができるようになるよ」と言って、具体的な内容を軽く説明した。

そのときに、大事なことを1つ。

「どんなに困っても、どこかで勝手にお金を借りないこと」

そして、そのあとに付け加える言葉は、娘が20歳になったときにも、一人暮らしを始めるときにも言った言葉。

「借りるなら、○○銀行に借りなさい。
 無利子だから、他のところよりお得だよ」

○○に入るのは、わたしの名字だ。お金なら貸してあげるから、困ったことがあったら、ちゃんと言いにおいで…と。

実は、これは父がよく言っていた言葉なのだ。

「これ、じじちゃんがよく言ってたよね」とわたしが笑うと、「ああ、言ってたね」と、7年前、父の葬儀で人目もはばからずに声をあげて号泣していた息子が笑いながら、父を懐かしむ。


子どもたちが小さかった頃、わたしが子どもたちを連れて実家に帰ったときのことだ。

母に「もう全然お金がたりなくてさ、わたしの入力代を全部生活費にまわしてもギリギリで」と愚痴をこぼしていると、横に座って無言で新聞を読んでいた父が、笑いながら言った。

「どうしてもダメだったら、□□銀行に借りなさい。無利子だから、他のところよりもお得だぞ」と。□□は父の名字だ。

冗談めいた言い方で、父はその後も何度か、わたしにその言葉をくれた。


朝、息子に同じ言葉を言ったときは、本当にただ父の言葉の真似をして、父のように冗談めいた言い方で伝えたのだけど、夕食の支度をしながら考えていて、ふと気がついた。

そうだ、あのときの父の言葉は、今、わたしが娘や息子に感じている心配や、巣立っていく子どもたちへのエール、それと同じだったんだと。


これは、わたしが、noteに残しておきたい、残しておかなきゃいけないと思って、いちばん最初に noteに持ってきた記事だ。過去のブログをまとめたものである。

今、読み返しても、なんてひどいことを考えている娘なんだ … と思う。

わたしは父が亡くなる直前の数日間ですら、父の手も握らなかったし、慰めの言葉も別れの言葉も言わなかった。感謝の言葉すら言えなかった。

この記事に書いたように父に対して怒りの感情があって、それをどうしていいかわからなかったというのが、このときの本音だ。


だけど、今日気づいたのは、父がくれたこれまでの言葉はきっと、そのときのわたしは気づけなかったけど、今のわたしと同じ気持ちだったということ。

きっと、今日の「○○銀行に借りなさい」という言葉以外にも、父の気持ちが隠れた言葉が、きっとたくさんあった。わたしが気づけなかっただけで、きっとたくさん。

父が生きている間に気づけていたら、わたしはちゃんと感謝の言葉が言えたのかな。そう思うと、少し悔しい。

これから先、またこうやって、そのときの自分と重ねて、父の言葉を思い出しながら、父の気持ちを知っていくんだろうと思う。


そして、これを記事に書こうと思ってから、気づいた。

今日、1月19日は、父の誕生日だ。生きていれば、79歳。

79歳だなんて、中途半端だな。しょうがない。来年も記事を書くよ。その1年でまた、何か気づけているといいな。


最初の記事の最後に書いたように、きっと父は、ずっとわたしのお手本なんだと思う。







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