『いわき時空散走フェスティバル24春』赤井・平窪ツアー
『いわき時空散走フェスティバル24春』4日目は、赤井・平窪ツアー!
【日時】2024年5月5日(日)10時~15時
【集合・解散】赤井駅
【サポーター】大森由美子(おおもり・ゆみこ)
新エリアの赤井・平窪ツアーでは、赤井在住の大森由美子さんがサポーターとして一緒に巡ってくれました!赤井の女傑の話や、平窪の様々な伝説話など、ディープな地域ならではの、地元の方でも知らないような面白いスポットが盛りだくさんです!
そして何より、自然豊かな赤井・平窪は、自転車で走っていて最高に気持ちいいツアーでした!
ー赤井駅での思い出
ツアー参加メンバーが、続々と赤井駅に集まってきます!通常は、まず企画説明と交通ルールについて説明したあと、みんなで自己紹介をしてからスタートするのですが、今回は昼食の予約時間があるため、自己紹介は昼食の時にすることに!
そして早速ツアーが始まり、磐越東線が走る赤井駅からスタートです。現在の赤井駅はコンパクトな無人駅となっていますが、元々は木造駅舎でした。そのころの様子は、サポーターの大森さんも良く覚えているようです。
大森さん:「近所の女性の方たちがお花を生けてくれて、猫が住んでて、子供たちが猫と戯れている、そんな場所でした。そしたら、いつの間にかこう(現在の駅舎)なってました。本当にいつの間にかで。」
赤井駅は、平成30年(2018)に施工され、木造駅舎から現在の駅舎になりました。入り口横にあるベンチが印象的だなと思っていたら、旧駅舎の写真を見てみると当時も入り口横にベンチが設置してありました。駅にベンチって欠かせないものなのかもしれません。
大森さんは、「旦那と喧嘩したときに行くとこがなくて、ここのベンチで夜を過ごしたことがある」と話していました(笑)
では早速、自転車に乗って次のスポットへ!小さな踏切がある場所で止まりました。ここは、元々『瀬戸屋』という赤井焼のお店があった場所です。
ちなみに皆さん『赤井焼』をご存じですか?
赤井では、地層的に粘土が良くとれたそうで、瀬戸物以外にレンガなどにも使われていました。逆に、粘土がたくさん採れたので、希少性はなく、日用品として使われた焼き物だったとのこと。ネットオークションでも安い値段で売られていてビックリでした!良質な粘土を利用した焼き物だったのですが、現在は残念ながら赤井焼の職人は絶えてしまいました。
また、赤井焼の灯篭が、常慶寺(赤井)と明賢寺(平)にあるとのことで、リサーチの時に行ってみたのですが、明賢寺にしかありませんでした・・・!しかし、赤褐色の灯篭でとても立派でしたよ~
また、ここは大森さんにとって忘れられない出来事があるとのこと・・・
大森さん:「夜にふらふらと自転車を漕いでいたら、私頭からここに落ちたんです!それで血だらけになりながら頑張って家まで帰ったら、旦那は目も開けずに、『うーん、大変だったね』って。全く心配せずに寝てたという悲しい思い出があり、ここは私にとっては受難の地なんです。」
踏切の反対側に大きな側溝があり、街灯もない場所なので、夜は特に見えづらく危険な道・・・大森さんがここに転落した事故の後、気づいたらガードレールができていたそうです!
次は夏井川の方へ向かい、『愛谷江筋』へ!
小川郷エリアでもでてきた澤村勘兵衛のもとで『小川江筋』の開削に従事した三森治右衛門が、澤村勘兵衛の死後、小川江筋を完成させ、その後延宝2年(1674)には『愛谷江筋』に着工し、6年かけて完成させました。
川をのぞいてみると、いつもより水位が低いです。なぜだろう?と話していたところ、
参加者:「今は田植えのシーズンだから、田んぼに水を引いているんでしょうね。」
なるほど!ちょうどツアーの日は、ゴールデンウイークで田植えの時期!
この時期になるとこんなにも水位が下がることが分かりました!
この光景を見て、改めていわき市内の多くの田んぼは江筋があるから米を作ることができていて、そして私たちはそのお米を食べれているんだなと実感しました。
また、愛谷江筋の手前の方を見ると、階段のようになっている部分があるのですが、「魚が上流の方に登れるようになっている」と参加者の方が教えてくれました!
陸奥さんも、なぜ階段になっているのか疑問だったようで、「そういうことか~!」と納得していました。
このように逆に参加者から教えてもらう・話してもらう場面が多いのがいわき時空散走ツアーです!!私たちがマップで地域を可視化し、それを見て地域の方たちが話す、伝えていく、そんな流れができたらいいなと思っています。
ー赤井に凱旋門がある!?
そして、愛谷江筋から歩いて向かう先に見えたのは、木の柱のようなものが2本、道路の脇にひっそりとそびえたっています。
実はこれ、『凱旋門』なんです!!
柱をよく見ると、『日露戦争戦勝記念 凱旋門』と書かれています。戦勝記念として、旧・赤井村の入口であった愛谷橋に建立されたのですが、昭和59年(1984)の県道拡幅工事で一度撤去されてしまいました。その後、道の脇にほったらかしにしてあった凱旋門を町の方が見つけ、平成19年(2007)に現在の場所に再建されたそうです。
福島県内では唯一、国内でも非常に稀で貴重な凱旋門であると言われています。
地元の方も、「何回も車でここ通ってるのに気付かなかった!」と驚いていました!地元の方が、凱旋門の説明看板を作成したのですが、雨や風で落ちてしまい、今は下に立てかけてあります。
なかなか気づきにくい場所なので、看板がないとスルーしてしまう人が多いかもしれませんね・・・これは赤井エリアの大発見でした!!
また自転車に乗り、次のスポットへ向かいます!自転車一台がギリギリ通れるような砂利道や、夏井川河川敷沿いの道など、車では絶対通ることができない道を走っていきます!
知っている町なのに、普段使わない道を自転車のスピードで走ってみることで、色んなものが見えてきます。
川の水の流れ、鳥の鳴き声、道の脇に咲いている草花、お家の庭や畑の手入れをしている人、目に入ってくるものが本当に豊かだなあと思いました。
そんなことを考えながら心地よく走っていると、続いてのスポットに到着しました!『磐城橋』です!ここは元々『曲田橋』と呼ばれていました。
江戸時代、曲田橋は仕置場で、悪さをした人を処刑する場所でした。『石城郡誌』によると、当時いわきでは知らない人はいないと言われた大泥棒『折笠虎之助』という人がここで処刑され、処刑後に腑分け(体を解剖)したところ、肝臓が常人より3倍ほど大きかったそうです。
処刑される直前も、怖がるそぶりなどせず、煙草を一服していたそうで、”肝が据わっている”人は、本当に肝が大きい!?なんて話も。
また、虎之介のお父さん『折笠林右衛門』は博徒(賭博で生計を立てる者)で、町の悪党たちを成敗していたそう。ある時、茨城から来た悪党が小川郷で人妻をさらうなどの事件があった時には悪党を懲らしめたという話があったり、もう白髪のおじいさんになってからも、村で暴れ狂う大猪に立ち向かったそうで、その際に亡くなってしまったといいます。
また、元文義民の一人も曲田橋で処刑されており、刑死者供養のための川端地蔵がありましたが、現在は安養寺(平窪)に移動しています。参加者の中には「ここに(川端地蔵が)あったの覚えてる!」という方もいました!
ー『華正樓』でお昼ごはん
さて、お腹もすいてきたところで、ちょうど予約時間ぴったり間に合いました!平窪の大人気中華屋『華正樓』でお昼ごはんをいただきます!
各自、食べたいものを注文し、料理が届くまでの待ち時間で、最初にできなかった自己紹介を行っていきます!
すぐに満員御礼となった赤井・平窪ツアーですが、地元の方や時空散走ツアーリピーターの方も多く、大変嬉しい限りです!!また、株式会社シマノが運営している『Cyclingood』というオンラインメディアの方々にも、ツアーに参加しながら取材していただきました!
自己紹介もちょうど終えたところで、どんどん料理が届き始めます!麻婆豆腐、レバニラ、ラーメン、茄子味噌、どれも間違いない・・・
自分のを食べながら、「次来たときはあれを頼もう。」と考えてしまうほど、全部美味しそうでした!!人が食べているものってなんであんなに魅力的に見えてしまうのでしょうか・・・
お腹いっぱい美味しいごはんを食べ終えたところで、ツアーの後半戦へ!!
ー平窪の伝説。『鬼馬塚』と『からし坊主』
さて、ここからは平窪エリアをぐるっと巡っていきますよ!実は、平窪には面白い伝説話がいくつかあるんです・・・
まず、一つ目に向かうのは『鬼馬塚』という場所。
延命地蔵尊がある周辺が、平中塩鬼馬塚というエリアなのですが、『平窪郷土誌』によると、昔、首から上は馬で、漁師や木こり、木の根や木の株に変身して人間や家畜に害を及ぼした『鬼馬童子』がいたそうです。しかし、「畠代」という鬼にとって毒である草を植えると、童子はそれを大量に食べて錯乱状態になり、狂い死んだという話があります。その鬼馬童子を埋めた塚が、ここ鬼馬塚だそうです。
この話は、鬼馬塚の旧家の古文書にあり、昔は「文書を開くと目がつぶれる」と言い伝えられ、禁断の書として神棚に祀られていましたが、のちに開かれて、広く知られることになったそうです。
ちょっと恐ろしい話でしたが、頭は馬、体は鬼の姿の鬼馬童子、皆さんはどんな鬼馬童子を頭に浮かべていますか・・・?マップにも、イラストで描かれているので、ぜひ見てみてくださいね!意外と可愛いかも!?
そして、次に到着した場所は、『安養寺』!二つ目の伝説話は、『からし坊主』と呼ばれたお坊さんのお話です。
『平窪郷土誌』によると、昔、西洗寺という寺があり、そこのお坊さんは賭け事が大好きで、負けた相手にからしを食べさせていました。ある日、大負けしたお坊さんがいたのでからしを大量に食べさせると、あまりにも辛すぎて悶死してしまいます。
その後、そのお坊さんの家の跡地にあった石を踏みつけたり、腰を掛けたりすると村にタタリが起こるようになり、そこで石を安養寺に納めるとタタリはなくなったそうです。
そのタタリの石は、今も安養寺に納められており、実際に見に行きました!
小さな楕円の丸い石に、『海雲法師』と刻まれています。
しかし、からしを食べさせたと言いますが、皆さんは黄色い和辛子を想像しましたか?それとも赤い唐辛子?どのからしだったのかは分かりませんが、想像しただけで口の中が辛くなってきそうです。
きっと最期は相当苦しかったと思いますが、今タタリの石がある場所はとても眺めが良く、きっと海雲法師も、平窪の田園風景を穏やかに眺めていると思います。
ー下平窪の多世代コミュニティ
次に、『下平窪公民館』に来ました!ここは、赤井・平窪のマップを作成するにあたり、リサーチから協力していただき、ツアーにも参加してくれた『一般社団法人Teco』さんが普段活動されている場所です。
2019年の台風19号による水害から、下平窪での支援活動が始まり、今でもコミュティサロンやコミュニティ食堂、交流イベントなどを下平窪公民館で続けています。
ここでの活動以外にも、『できる人が、できることを』をモットーに、いわき市で様々な活動を行っています。今回参加してくれたTecoのやっちゃんとまいちゃんに、お話を伺いました!
やっちゃん:「こういった場に男性が来ることが少ないので、男性の方にも来てもらうにはどうする?と考えた時に、麻雀台を置いてみたらたくさん来てくれて、だからここには男性の方多いです。女性の方たちとは、お茶飲みながらお喋りしたり、週に一回ここで活動しています。」
コミュニティサロンに麻雀!!お喋りが苦手な男性の方たちでも、麻雀だったら気軽に楽しめますね。目的が何であれ、地域の方々がここにゆるりと集まって、顔を合わせることが大切ですね。
まいちゃん:「私とやっちゃんはダンス教室仲間で、私が小学4年生の時からの仲なんです。年齢は離れてるけど、友達です。一緒にライブ行ったり、ゴルフ行ったり、飲みに行ったり、仕事以外の休日もいつも一緒にいます(笑)私が困っているときに、いつも声をかけてくれるのがやっちゃんなんです。」
いわき時空散走メンバーは、一度コミュニティ食堂にお邪魔したことがあるのですが、子供からご高齢の方まで、本当に幅広い世代がここに集まって、年齢関係なく一緒に喋って遊んで、ご飯をたべて。それぞれが生き生きと楽しんでここにいることが伝わってくる、本当に素敵な空間でした。
この空間をそうさせているのは、やっちゃんとまいちゃんの友情が、周りに良い影響を与えているのかもしれませんね。
次のスポットを目指して走っていると、「あ!小林さんだ!こんにちは~!」とやっちゃんとまいちゃん。どうやらコミュニティサロンに来てくれている、元区長さんでした!
メダカを育てているそうで、急遽お邪魔して見させていただくことに!
ビニールハウスの中で、様々な種類のメダカが育てられていて、小さくてかわいい!!
すると奥さんが、私たちのためにアイスを家から持ってきてくれました!
ツアーも終盤になってきて少し疲れてきたところだったので、アイス最高でした!美味しかったです、ごちそうさまでした!
ー突撃一番
アイスも食べて休憩できたところで、また走っていきます~!どの世代もみんな大好き、ピラフが人気の『木木』の横を通って次のスポットへ!久太夫橋を渡り、夏井川を越えてまた赤井に戻ってきました~。
橋を渡ると見えるのが、大きな工場。オカモト株式会社の福島工場です!
1945年に小川町にオカモト株式会社の福島工場が開設し、その後1965年に赤井に開設されました。まだ小川に工場があったころは戦時中。兵士の健康管理や性病対策は徹底されており、兵士たちには、『突撃一番』と書かれた避妊具が配布されていたそうです。
戦時中のリアルな話に、驚きでした・・・!現在赤井にある福島工場では、ラップフィルムやPPシートといったプラスチック製品、ゴムバンドなどのゴム製品などの製品を生産しているそうです。
ー赤井の女傑が残した『女の一生』
そしてついに最終スポット!『稲田地蔵尊堂』に着きました!ここにある地蔵尊の一つに、リサーチ中に見つけて胸を打たれたある言葉が刻まれているのです。
それが、『女の一生』と書かれた五か条。
一、親兄弟を大切に労わる
二、夫を立て子供の躾を肝要とする
三、人と人との出会を大切にする
四、人生の幸不幸は愛の対象による
五、体の健康を第一にする
「特に、四つ目が深い!!」と参加者の心にも刺さっていました!
これを書いたのは、『船生シメ子』さんという方で、船生鉱山、昭和窯業の女社長として財を成し、また戦後の混乱期で大変な状況にあった地域の子供たちのために、『赤井幼稚園』を開園しました。女社長時代には、自ら東京まで運転し、営業をしに行っていたという話も聞きました!
また、いわきの三大女傑と呼ばれていたうちの一人だそうで、リサーチの際に聞いた地域の方々の話によると、
「赤いヒールに赤いワンピースで、高級車を乗り回していた」
「女性だけで飲みに行くなんてありえないような時代に、女性らを引き連れて田町(平)に飲みに行っていた」
「地域のお祭りではいつも大盤振る舞いしてくれていた」
など、シメ子さんのかっこいいエピソードがたくさん出てきました!また、地域のみなさんが『シメちゃん』と呼んでいて、地域のみんなから慕われ、愛の深い、かっこいい女性だったんだろうなあと思いました。
さて、シメ子さんが残した五か条を胸に留めて、赤井駅に戻ります!ついにゴール!走り切りました~!
赤井も平窪も大変濃いエリアでした!地域を2つ跨ぐことで、地域の違いや隣なのに知らない話がたくさん発見でき、地元の方たちもとても楽しんでもらえたようでした!
2つ、3つの地域を1日のツアーに盛り込めるのは、歩きでは難しく自転車ならではの楽しみ方だと思います!しかし、今回のツアーで巡れなかった場所も、話も実はまだまだあるので、それは次回のツアーでお楽しみに!
文章:井上栞里(NORERU?広報)
写真:鈴木譲蔵
■『いわき時空散走フェスティバル24春』レポートはこちら
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