空の認識
改めて、SNS には自分が興味ある内容ばかりがずらりと並び、それだけで世界が成り立っているような気持ちになると思った。
これはもう仕方ないことだろうし、スマホやパソコン自体が「自分の興味に準じた、またはさらなる沼に入ることを予見した」情報を絶えず流し続けるからだ。
僕のタイムラインやおすすめに、アウトドア系の広告は一切出てこない。出てくるのは音楽関係の機材や何かのイベント・リリース告知、もしくは心理関係に特化した書籍などの情報など。SNS上で友達や知人の動向を本来気にする必要もないのはわかっていながらも、ついつい可視化されるものは見てしまう。
こちらからいくらスマホ断ち、通知全切りをしてデジタル断捨離めいたことをしても、本能レベルでこびりついた中毒性が、今日もまた僕をスマホに手を伸ばさせる。
世界はもっともっと本来広いものだと思うが、どうしてもスマホの向こう側を世界の全てと捉えてしまいがちに今でもなるし、今こそなってしまっているのかも知れない。視野が広がるようでむしろ視野狭窄は進んでいき、自身で作り上げた一つの仮想空間内ですべてが完結するような気持ちに陥ってしまいそうな気持ちを覚える。
良く、過去に比べ「ビルが立ち並び空が狭くなった」と言われる。
今はそれに加えて、「うつむくことが多くなり、より空を認識する機会が少なくなった」時代なのかも知れない。
こうして書いたからどうということでもないが、そういった "認識" を認識するのとしないのだけでも、ひとつ自分にとって思いの楔になる。
今日はこんなところで。
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