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ポーズを決める

 今日も晴れている。自然光が優しい。早朝の澄んだ空気感が、肌寒さもかえって良いスパイスに変えてくれるような心地よさを運んでくる。

外の空気を存分に感じる為に、ベランダに出た。

いつもの流れで太陽を浴びながら大きく伸びをし、深呼吸とともに外をしばらくぼーっと眺める。

ふとある気持ちが思い浮かんだ。

ポーズを変えてみよう。

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 試しに、手すりに片肘をついて斜めにもたれかかりながら片手でコーヒーを飲む、"少しキザな格好" を保った状態で外の景色を眺めてみた。

おお、なんか悪くない。

家の前は大きな道路のため、絶えず車と人の往来があるのだが、ただ習慣に任せた半無意識な所作で眺めるのと、「ポーズを意識的に決めて」眺めるのでは、不思議と感じ方が違う。

前者は爽やかで屈託のない心理状態からか、行き交う人々もウォーキングをしている人や散歩をする老夫婦などが自然と目に入るが、後者だと、自分がビジネスに特化した「できる男」のような心理状態からか、どちらかというと車だったり出勤に向かうサラリーマン達だったり、そういった対象が多く目に入った。

大げさだが、ホームドラマとトレンディドラマくらいの気分の差が生まれた。ポーズをひとつ変えるだけで「興味や焦点の対象が変わる」事は、僕にとって大きな発見だった。

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 試しにもう一つ、両肘を手すりについて頰に手の甲を当てる、いわゆる「'80年代のアイドルがブロマイドなどで取ってそうなポーズ」をしながら、外の景色を眺めてみた。

すると、やはりなんとなくアンニュイになるのだ。凄い。

行き交う人々も、学生だったりうら若き女性だったりが、心なしか印象として目立つようになる。

まるで自分が思春期の少女となり、移ろいゆく景色に心を巡らせながら、思い人を頭に浮かべて詩でも書けそうな気持ちが生じたのは、決して大げさではない。

何度も言うが、ポーズひとつ変えるだけで、人格も疑似体験できるのだ。

たまにこうした「格好つけ」を経由してみるのも面白いなと思った。

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「思い込みの力」という言葉がある。

"囚人と看守の実験(スタンフォード実験)" というものが昔あったが、人はみな「役割」を与えられると、その役割に見合った人間になるために「ガワに心を合わせていく」といった習性があるようだ。

人は、役割を与えられると、その役割の性格がハッキリしていればしているほど、責務に見合うよう、知らず知らず背のびしていき、いずれはその役割のサイズに落ち着く。

思い込みは、それくらい力があるのだ。

逆算すれば、自分がどうありたいかを「ポーズ」から作り出すことも可能だと思う。

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 だからといって、「思い込みを変えましょう!」という自己啓発めいたことを声高に言いたいのではなく、いかに今の自分が「思い込み」の集積でできたアンコントロールな存在かと言う事を改めて「ただ認識する」事自体が、今回とても新鮮で興味深かった。

アンコントロールなものでも、気付く事でコントロール可能なものに少しでも変えることができるのが、僕の理想だ。


構造を知って生活に臨むのとそうじゃないのとでは、日々起こる事象の捉え方も大きく変わってくる。

日頃から、自分の心を "上手く掴んでおきたい" だけなのだ。

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物理的なポーズを変えることで、「思い込み」とまではいかずとも、 普段自分が視野に入れている対象をがらっと変化させ、いつもと違うエリアから覗いたような発想が生まれることは、思考の幅や視点が拡がったようで、単純に嬉しい。

普段何気なく目の前に広がる世界でも、人間がいかに「自分の興味あるものしか目に入っていない」のかということを、こうした実験をもとに発見できたのは有意義だった。


 身体の動きが心と直結する。これもある種の「心身一如」だなと深く納得するような朝だった。

今日はこんなところで。

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