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自責と他責

 「すべて自分のせい」と考えると、かえって生きるのが楽になる。

それは決して「自分のせいにしておけば丸く収まるよね」といった自己犠牲的に屈するタイプのそれではなく、能動的に「自分はこの道を選ぶ」という決断を大小関わらず行なっていくこと。その癖をつけていくことが、知らず知らず自責思考を鍛えていくということになるんだと思っている。

 もちろん、「自分の責任」と思えない時の方が見た目上多いし、生きていて理不尽な目に遭う時もたくさんある。

でも、そんな極端な状況を除いたとしても、大抵のことは小さい「選択の積み重ね」の結果である。そう考えたら、今取り巻く状況や環境はやはり「自分のせい、自分が生んだ責任」なんだと思う。

だからこそ、目の前に常にやってくる選択は意識して Yes,No を出していきたいし、つぶさにレコーディングしておきたい。都度都度の決断において、ベタだけど後悔しない選択をしていきたい。

なにより「自分で選んだ」という認識の集積が、ゆくゆくの自信につながる過程を楽しみたいと思っている。

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 他責の思考は、瞬間瞬間は誰かのせいにして重圧や負い目を回避できるので楽だが、のちのち確実にツケとなって襲ってくる。

常に頭の中に責任を押し付けるための「誰か」がいると、その場は生きやすいと感じるだろうが、実は自分でも気づかず “その誰かに支配された状態” に陥ることも多い。

そうなってしまうと、いざというときの動きは相当鈍る。本当は純粋に頭に出てきたAの採択をストレートにやりたいのに、いざ失敗した時に責任を押し付けるための「誰か」や「環境」を探す余計なフローのせいで、結果的に色々遅れる。

これはある種、責任を押し付ける「誰か」によって自分の人生を掌握されている状況でもあるし、一見誰かをスケープゴートにするようで、その誰かに行動を相当制限されている状態でもある。

色々と能書きを言うだけ言って、世間のせいにしながら自分は動かない…といった人にはなりたくない。

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 「自責」は、自分を追い込む一方、すべてスタンドアローン思考になるので、変に考えが散らず集中が増すという利点がある。誰にも気を使わなくて良いので、1アクションで大概のことが完了する。

僕が一番怖いのは、誰かに頼りがちだと、いざ自分が本当の窮地に陥った時に、冷静になれず、すぐに思考を放棄してしまうことだ。

できるだけ、拠り所は「自分自身」にしておきたい。支柱をぶらさずシンプルに動くためには、最終的に自己の内面にそれを置いておくのが一番費用対効果が高い。それが僕にとっての「自責」なのかも知れない。

今日はこんなところで。

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