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摩擦

 "努力" や "忍耐" 、"獲得" や "克服する" …などの言葉をできるだけ避けたがる時期が過去にあった。スピリチュアル方面で良く提唱される「何もしない」といった言説にある程度信憑性を抱いていた頃など、特に。

僕にとって、それは耳心地の良い言葉だったし、角ばった空気抵抗だらけのイメージより、丸に近いイメージの方が進みやすいし、速度も大きく変わってくるだろうという算段もあり、「何もしない」という言葉ツラにある種の陶酔を抱いていた。

 結論から言うと、然るべきシチュエーションにおいて努力や忍耐はとても重要だと思う。ヴィジョンと方向性を幸運にもちゃんと把握し、納得性が叶ったうえで進める努力や忍耐の時間は、自分にちゃんとしたフィードバックと成果を与えてくれる。

要するに、その努力や忍耐の頭に「無駄な」をつけるかつけないかでジャッジするんだね、というのが一番説明しやすいが、案外それもやってみないとわからないところでもあり、一見無駄だと思いつつも好きでやっていた努力や、それに付随する忍耐が功を奏し、自分の人生に恩恵をもたらす場合もあるから、人生はわからない。

好きで動いていたら、案外泥臭いフェーズも泥臭く思えないし、そうした状況が努力を努力と思わない、苦労を苦労と思わないような定義を生んだりする。

そもそもゼロから 1を生み出すために「何もしない」のは、本当に「何も起きない」結果しか生まないし、仮に何か起きたとしても実が伴わず、即座に馬脚が現れてしまう。

初期投資としての摩擦はどうしても必要だし、その段階をクリアしてからの「流れるに任せる」がようやっと通用するんじゃないかな、と感じる。

 多くの自己啓発本には、そうした箇所についての説明が不足しているように感じるし、単純に逆張りさえすれば良いと勘違いする人を一定以上生み出す結果になっている気がする。

一概に費用対効果の高いショートカット型の人生を望みすぎるのも、それはそれで味気ないと思っている。

今日はこんなところで。

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