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「探さない」とかえって見つかる現象

 トイレが見つからない夢を見た。

とある商業施設内で、僕は一人延々と歩き続ける。探せば探すほど、普段は頻繁に目にする男性用マークが見つからない。

一度見つけたのだが、そこはトイレというにはあまりにも衆人環視がすぎるようなシースルーな作りだった。ここで用を足すと、いろんな意味で尊厳を無くしそうだったので、さすがに使用を控えた。

焦れば焦るほど遠のく。案内図のような気の利いたものもない。的外れな道を歩いている思いとともに、視野狭窄はどんどん深まっていく。

 はたとここで思う。

こういう時は無闇やたらと歩き回るよりは、立ち止まった方が案外良いのかも知れない。「トイレなど探していません」という思いに切り替え、このまま施設を抜け出るくらいの気持ちで臨んだ方が良いのかも知れない。

果たしてその思惑はビンゴだった。トイレに焦点を当てなくなったら、とたんにあちこちにトイレの看板が現れた。あれだけ目を凝らしても見つからなかったのに、関心を持たなくなったとたんこれだ。

探し物が「探し物」じゃなくなったとき、初めて存在を成すあの現象はなんなんだろう。

そんなことを考えながら、起床してトイレに赴いた。

今日はこんなところで。

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