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何も言わずにただ「聴く」ということ

 同じ話を何度もする人がいる。

僕は今まで、そうした人たちの心理がわからなかったし、ただ「もう聴きました」という意思表示を具体的に言葉で表すか、もしくは会話の中で静かに軌道修正するかしながら、かわすことも多かった。

同時に、同じ話を何度も初めて聴くように接する人がいる。

こちらも僕は正直心理を理解するのに少し苦しかったし、単純に会話をするもの同士が記憶喪失のままキャッチボールをしているものだとばかり思い、もどかしい気持ちを覚えたこともある。

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 昨夜、友人たちと3人で話していて気づいたこと。

まさにひとりが "同じ話を何度もする" タイプで、ひとりが "同じ話を初めて聴くように接する" タイプで展開されるシチュエーションだった。

 友人は口数が少ない。いつも言葉を選びながら、何か大切なものをすくい取るように丁寧に言葉を紡いでいくタイプだ。

この日も、たわいもない話から始まり、時間とともに深い話になっていく。

勝手知ったる僕らの前だけだからこそ話してくれる、彼だけが経験してきた壮絶な話。愛憎が度を超えた先輩から数十年受けてきた、理不尽な暴力と圧力。自分の生活圏とかけ離れた耳を疑うような話がたくさん出てくる。

そんな、心に大きな古傷を抱えた人がぽつりぽつりと話す言葉の中には、重複したエピソードも少なからず存在する。彼はいつも、初めて吐露するように僕らに話す。

そしてそれを、初めて聴くかのように接するもうひとりの友人がいる。

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 会うたびに輪廻的に繰り返されるいつもの展開を、今回改めて冷静に眺めてみて気づいたのは、確かに同じ話として何度も聴いたエピソードながら、話す友人の中で少しずつ体温が伴っていってるのか、以前は出来事のみ淡々と話す感じだったのが、徐々に血が通った「自分自身の感想」を交えながら話すようになっていたこと。

過去にひどい虐待を受けたり、超絶なタテ社会のなか、想像を超えた暴力政治を長年に渡り経験し続けた人たちは、自尊心が大きく傷ついており、現在幸いにも「抑圧から離脱し、解放された環境」におかれていたとしても、自己を表現することがとても苦手だったりする。

自分がどう思っているか…にまで心を及ばせるには、おそらくまだまだ見えない恐怖心や束縛が働き、時間を要するのだろう。

そうした際に、何も邪魔や茶々を入れることなく、あたかも初めて聴くように接する聴き手がいることは、話し手にとって大きな安心を与え、心の解放に繋がることになるんだな…と、恥ずかしながら昨夜気づいた。

 傷が癒えるには、想像以上に時間がかかる。その人は、自分の中で話しながら、一生懸命心を整えようとしている。失った心を、長い年月をかけて少しずつ取り戻そうとしている。

相手が同じ話をしてくる時は、実は大きく心を開いてくれている場合が多いのだ。さらに踏み込むと、同じ話のようでいて、本人の中では角度を変えた全く違った話であることも多いのだ。

それを静かに、何度同じ話をされても辛抱強く、ただじっと聴いてあげることが大切なんだなということの真意を、ようやっと何となく理解できたような気がする。

口では「傾聴」などと言いながら、本質を理解できていなかった。

 まだまだ自分は学ぶことだらけ。そして、良い友人たちに囲まれて幸せだ。

今日はこんなところで。

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